80歳を越えた古井由吉氏の最新小説。2017年8月から18年10月まで、2か月ごとに書いた8篇。その時期の"つれづれ随想"的だが、戦争や戦後の恐怖や「生きる」に精一杯であった時のこと、東日本大震災などの大地震、執筆時の九州北部豪雨や西日本豪雨、昔と今の「季節」「街の変化」の感じ方の相違等々にふれつつ、「生老病死」の老いの実存と境地から描く。「個の記憶を超え、言葉の淵源から見晴るかす、前人未踏の境。」と帯にあるが、深い思索と観識眼とその境地はうなるほどだ。
老いは喪失、諦念、自愛の組み合わせだろう。諦(あきらめる)とは明らかに観ることだ。「老年に至って振り返ればこれでもさまざま、何事かを為したにつけ為さなかったにつけ、すこしずつおのれを捨てて、置き去りにしてきたことだ。なしくずしの自己犠牲、なしくずしの自愛である。最後の運命の定めるところと受け止めて、これに順う。従容とまではおのれをたのめなくても、その諦念にわずかな自由を見る」という。今の社会は昔に比べ静謐が消え、季節が消え、むき出しの貧病が消え、人と人の生死につながる絆が消えていく。昭和12年生まれの古井さんと、20年生まれの私とは戦争の陰影が異なるからだろう、それらの感受性がかなり異なる。凶災だけでなく、梅雨時、暑さに陰りの見え始める初秋、そして晩秋、花の咲く春を待つ時。季節によって生老病死の感じ方・気分は変化する。「たなごころ」「梅雨のおとずれ」「その日のうちに」「野の末」「この道」「花の咲く頃には」「雨の果てから」「行方知れず」の8篇を味わいながら読んだ。