藤沢周平の初期の作品集。昭和48年直木賞受賞作「暗殺の年輪」の前後に書かれた短編。「又蔵の火」「帰郷」「賽子無宿」「割れた月」「恐喝」の5編でとてもいい。「話の主人公たちは、いずれも暗い宿命のようなものに背中を押されて生き、あるいは死ぬ」「読む人に勇気や生きる知恵を与えたり、快活で明るい世界をひらいてみせる小説が正のロマンだとすれば、ここに集めた小説は負のロマンというしかない」と藤沢氏自身が語っている。
「又蔵の火」は、素行が荒れて放蕩者、一家の面汚しとして殺されるに至った兄、死ぬことでかえって皆に安堵された兄に対して、「兄に代わって一矢報いたいと仇討ちをする又蔵」。その心に宿る"火"を描く。「帰郷」の宇之吉、「賽子無宿」の喜之助、「割れた月」の鶴吉、「恐喝」の竹二郎。まさに負を背負い、かすかな善意を人一倍感じて命を差し出す"名もない""世の片隅に追いやられた"男の宿命、悲哀が描かれる。もの悲しいが心に浸り入る。
「帰郷」は今年1月、映画化され全国で上映されている。主演は仲代達也、監督は杉田成道。舞台となる信州・木曽福島は御岳、木曽駒ケ岳などの美しいアルプスの山々と空、キリっと引き締まった空気が、家族を捨てた老境の男の懺悔と贖罪を際立たせる。映画も原作もともに秀逸。小説がいいと映像が見劣りすることが多いが、この映画は作品に奥行きと美しさと苦悶や切なさが明らかに付加されている。
「一矢報いる」「自らの人生に決着をつける」――。最終の命の火を誰かの為に使いたいと人は思う。その負のロマンに心を揺さぶられる。