日本経済学新論  中野剛志著.jpg「渋沢栄一から下村治まで」が副題。「日本経済学」とも呼ぶべき近代日本の経済・思想を貫く精神とは何か。それを、渋沢栄一、高橋是清、岸信介、下村治の4人を抽出し、その柱がプラグマティズムと(経済)ナショナリズムであることを明らかにする。明治から昭和の終わりまでの日本。激動のなか実際に舵取りをした4人は、現場実践の実感覚と柔軟性を手放すことがなかった。そして、民力、国力、創造力や国民の連帯意識を重視した。当然、積極財政や保護主義を主張し、健全財政や自由貿易のドグマから距離を置く経済ナショナリズムに立った。経済理論や貨幣論が揺れ動くなかで、4人の経済思想が共通することが浮き彫りにされる。その骨太の道を提示する本書の圧倒的な力業、鮮やかさに驚嘆する。

とくに渋沢栄一の「論語と算盤」。なぜ、論語と算盤か、どういう論語なのか。水戸学のプラグマティズム、朱子学批判。理論は実践のなかにある。萩生徂徠ではなく、伊藤仁斎・会沢正志斎・渋沢栄一と貫かれる「中庸」「常識」の渋沢の論語主義が示される。その理念は、市場の「見えざる手」ではなく、「国家のため」「社会のため」といったナショナリズムや公共精神をもつ渋沢たちの「見える手」によって開拓され、近代日本の資本主義が形成される。渋沢も高橋是清も近代化と戦争のなかで、格闘する。緊縮財政か積極財政か。金本位制等々をめぐる貨幣をめぐる通貨論争は、世界を背景にして揺れ動く。デフレとインフレ、この時代に渋沢をしてもなお超えられなかった商品貨幣論のドグマを超えて次代の扉に手をかけた先駆者・金井延の存在も紹介される。

経済ナショナリスト・高橋是清――。高橋は事象の根本原因を常に問い質す姿勢をとり、経済の「根本」はナショナリズムによって動かされる産業組織であり、それこそが「国力」なのだとした。経済ナショナリズム、国民の生産力を引上げるための産業政策を重視した。井上準之助の緊縮財政の失敗と野心、高橋の積極財政の功は顕著だが、しかし軍国主義化の勢いは止められなかった。この戦時統制経済の責めを受けるのが岸信介だが、「岸が官僚になって以来、一貫して軍国主義者あるいは戦時統制経済論者であったとはいえないのではないか」「岸にとって『統制経済』とは自由主義経済と計画経済の中間形態」と中野さんはいう。そして後の岸政権は、積極財政、インフラ整備を図り、「所得倍増」の池田政権へとつなぐ「協調的経営者資本主義」を進めたのだ。その「所得倍増計画」を理論的に支えたのが、下村治――。渋沢、高橋、岸の経済ナショナリズムの思想を受け継いだ「下村理論」「成長理論」だ。成長の主軸は「国民自身であり、政府ではない」とし、「ケインズの理論に供給側の理論を接続した成長理論」「政府は安易な景気刺激策・需要刺激策ではなく、経済をあるべき姿に向けて誘導するのが役割」だという姿勢を堅持した。さらに低成長時代を経て、「下村は"追い付き追い越せ"型の経済成長が終わったからこそ、民間主導型から政府主導型の経済システムへと転換しなければならないと、新自由主義的な構造改革論者とは正反対の主張を展開した」と指摘する。政府が財政支出を拡大して国内需要の増加を誘発させなくてはならない、ということだ。

最後にこの平成以降、「渋沢が説いた合本主義を時代の遺物として打ち棄て」「高橋の否定した健全財政のドグマに執着し」「岸が嫌悪した弱肉強食を目指して、規制緩和、自由化、民営化を推し進め、日本型の協調的経営者資本主義を葬り去り」「下村が遺した『国民経済を忘れるな』という戒めを忘れ」ていい訳がないと、痛烈に言う。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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