「私にとって五木さんとの対談の最大の成果は『吹っ切れとる』『デラシネ』で生きることが、『私たちはどう生きるか』の問いに答えるヒントになることを教えられたことである」(姜尚中)――。五木寛之さんは、生後まもなく朝鮮に渡り、47年に引揚げる。姜尚中さんには「静謐な『悲しみ』の感覚が姜さんの身辺に漂っているようだが、その冷静さの背後にあるものが、じつは地底のマグマのように熱く激しい情熱であることを小説『母―オモニ―』は伝えてくれる。冷静どころか阿蘇の大山よりも熱いマグマを底にひそめた静けさなのだ」(五木寛之)という。「デラシネ」は悲哀に満ちた「根無し草」と否定的に使われるが、「力ずくで土地から根扱ぎ(ねこぎ)された人々」であり、「移植されることでより強くなった草」を指すと考えれば、「難民として漂流して生きていくのだったら、そこで生きていく思想とか希望というものをつくり出さなければならない」(五木寛之)、「運命です。難民としての運命を引き受けるしかない」(姜尚中)という。
日本の歴史において「躁の時代」と「鬱の時代」があり、今は「鬱の時代」。その運命を引き受け、「諦める(あきらかに究める)」ことで新しいスタートができる。「中間とか中庸ということばは、過不足がない平均的な感じがして、曖昧に思われるかもしれないが、本来は鵺的なものも含むとてもダイナミックなもの」「美術は優しいメロディーを聴いていうちに心が変化するように、無意識のうちに感性を変革する強い力をもっている」「明治には明るさと暗さがある。漱石は明治という時代に対してアンヴィヴァレントだった」「落地成根。働く場所がふるさとだ」「海外の今の状況は外部の力によって無理やり追われ移住させられる漂流。航海者でなく漂流者」「自由というものは限られている。かなり限定されている。その中で人間は動いていかざるをえない。それを受け入れる覚悟。そこで初めて自由になるのかもしれない」「社会の許容範囲が狭くなればなるほど、人を裁きたくなる。黒か白かを。・・・・・・今の世論や風俗の現象は、ものすごく狭隘なものが跋扈して、効率、生産性で計算して社会保障などで"無益な人"という存在は否定される。・・・・・・西部邁さんは人を批判はするが裁いてはいなかった」・・・・・・。
西部邁、廣松渉、高橋和巳、網野善彦・・・・・・。著作でなじみのある人々があまりにも共通して驚いた。