維新の影  姜尚中  集英社.jpg「近代日本150年、思索の旅」が副題。2018年は明治維新から150年目の節目の年。それに合わせて刊行された。この年は私も年頭からの会合で、司馬遼太郎の「『明治』という国家」を引きつつ挨拶をしたことがある。

明治以来の近代国家を急ぎに急いで築こうとした日本――。「殖産興業、富国強兵に励み、四つの島を中心とする『固有の本土』に沖縄など周辺の島嶼を『固有の領土』に組み入れ、やがて国境を越えて東アジアへと膨張していった国家の歩みは、敗戦という挫折を経て、不死鳥のように甦り、経済大国へとのぼり詰めていく」――。そのなかには光と影があり、影の中心の暗黒から光が逆照射される。100年前の夏目漱石の慨嘆であり、内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心らは、それぞれ「日本人とは」との問いを発した。光と影どころではない。「近代日本の宿痾がどこにあるか」を静かに語り続けている場所と人に、姜尚中さんは足を運ぶ。「エネルギーは国家なりを支え、今や廃墟となっている軍艦島や三池炭鉱の廃坑、女たちの哀歌」「メトロポリス・TOKYOの片隅や超過疎の球磨村など」「東京北区にある教科書の図書館・東書文庫や地方の国立大学・新潟大学」「人生儀礼の連鎖を斧で断ち切った東日本大震災や熊本地震の現場」「崖っぷちの農――秋田県大潟村の今」「海が語り継ぐ日本の宿痾・水俣病とそれを放置した差別構造」「足尾鉱毒事件と渡良瀬遊水地、谷中村滅亡」「長野五輪、大阪万博の『無邪気なほどにポジティブなエネルギーが満ち溢れていた』あの時と今、そして未来」「ハンセン病、相模原障害者施設殺傷事件の"差別という病""優性思想"」「沖縄戦と米軍基地」「在日のコリアタウンと国家のしずく」・・・・・・。

「歩き思索した旅」で感じたのは「国家というものの酷薄さ、むごさだった。・・・・・・私はそれらの背後に国家の影を見ないわけにはいかなかった」「政治家には、そうした国家の相貌を国民のために血の通ったものに切り替える役割が与えられているはずだ。経世済民とはそのことを意味している」「歴史はただその都度、勝利をかっさらっていく人々のためにあるのではない。歴史のなかで消えていった名もない人たち、失意と苦難のうちに天を仰ぎ自らの境遇を呪いながら果てていった人々。そうした歴史の墓場に打ち捨てられた人々を甦らせ、破壊されたものを寄せ集めてつなぎ合わせることができれば、私はそうした死者のなかにいる父や母に再び会える。そのような夢を見ることがある」「私の旅は、死者も生者も含めて、そうした"相続人"たちと出会う邂逅の喜びに満ちていた。近代日本は、そうした人々を輩出してきたのであり、そこにこそ、この国の希望が宿っているのである」と思索の"拠点"を語る。近代日本の大事な"歴史の主役"が、実はここにあることを剔り出す。本当にそうだ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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