動き出した時計.jpg「ベトナム残留日本兵とその家族」が副題。1945年8月の終戦によって、日本軍は武装解除され引き揚げることになったが、ベトナムには少なくとも600人以上が帰国せず残留したと言われている。そしてその多くが、ベトミン(ベトナム独立同盟)からリクルートを受け、独立をめざしての抗仏戦争に兵士、軍事教官、軍医等で働いた。しかしこの戦いを終えた9年後の1954年、ベトナム政府は残留日本兵の帰国を促す。すでに家族がいたが、家族の帯同は許されなかった。そこには、東西冷戦、共産主義陣営の思惑もあったようだ。その後、帰った日本人兵士自身も苦難を強いられ、ベトナム戦争で敵国アメリカの同盟国と見なされた日本人を父親とする残された家族も「日本ファシストの子」と差別される日々を送ることになる。

「なぜ残ったのか」「なぜ1954年には家族を残して日本へ帰ったのか」の疑問を抱えつつ、小松みゆきさんは「引き裂かれた家族」の真実に迫り、救いの手を差し伸べるべく奔走する。自身がベトナムに住んで30年という。凄い、素晴らしい、粘り強い行動力だ。

ベトナムの人は「家族への思い、とくに父親への思い」が強い。しかし、思いが「出会い」に結びつくにはハードルは高く、帰った日本兵士の側も、苦しい事情があり口は固い。全てが、「戦争」によってもたらされたことを感じる。小松さんは私の世代、兵士たちは親や兄貴たちの世代だ。「理不尽」な運命をもたらした「戦争」を、自分の親を思い起こしながら読んだ。スアンさん、ロックさん、ズンさん・・・・・・。熱意が出会いの"形"となっていくのは感動的だ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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