赤ちゃんをわが子として育てる方を求む.jpg「急告! 生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む 菊田産婦人科」――。昭和48年4月17日、地元・石巻の朝刊2紙に掲載された広告だ。「実子として」と書くところを、「我が子として」と遠回しにして表現したもので、違法の「斡旋」をした産婦人科医・菊田昇が、悩み抜きたまりかねて出したものだ。「妊娠8か月以上の女性には出産してもらって、その赤ん坊を不妊症の夫婦にあげて実子として育ててもらう」「中絶を望んでもそれができない段階の女性と不妊症の夫婦をつなぎ合わせることで赤ん坊の命を助けられないか」「妊娠7か月の中絶を禁止すれば、医者が産声を上げた赤ん坊に手を下す必要はなくなる」「今回の問題の根本にあるのは、産婦人科医が違法行為をやらねばならねえ状況にあるという現実だ」・・・・・・。1970年代に起きた産婦人科医・菊田昇の「赤ちゃんあっせん事件」の真実を、ノンフィクションの騎手・石井光太氏が、小説として描いたもの。

新聞のスクープ、テレビ報道、国会への招致、日母からの除名処分等々のなか、菊田昇は母が営む遊郭で育ち、遊女の悲惨さを「小さな命を救う信念」に代え、闘い続けた。そして昭和62年(1987年)、「特別養子縁組制度」が成立する。それを菊田は自らのがんと闘うなかで聞く。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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