忖度と官僚制の政治学.jpg「政治家と官僚」「権力と忖度」という政治の今日的問題を、マックス・ウェーバー研究で著名な野口雅弘成蹊大教授が、ウェーバー、シュミット、アーレント、キルヒハイマー、ハーバーマス等々の思想を交えて語る。「政治と官僚」の現場にいる私としては、当時と現在ではグローバル化した経済社会、情報・メディア社会をはじめ大きく変化している状況にあるが、その根本的な問題を改めて「考える」ことは貴重なことだと思う。

ウェーバーは、「パーソナルではない」「事柄に即した」事務処理を官僚制の特徴とした。脱官僚は、政治的な決定の幅を広げ、パーソナルなものを呼び戻すことであり、「人」による決断の根拠をめぐる党派的争いが顕在化することを意味する。官僚組織の「合理性」で押さえ込んだものが、解き放たれ、「声の大きな人に左右される」か「決められない政治」になったりする。民主党政権の「脱官僚」と「決められない政治」はリンクするわけだ。その「決められない政治」は、「伝統的支配」「合法的支配」「カリスマ的支配」の三つの支配類型で、官僚の「合法的支配」から「カリスマ的支配」への待望を呼び起こす。カール・シュミットの問題提起だ。アレントの「権力」と「暴力」の区別も、カリスマ的支配の「不安定性」「人々がカリスマを承認するかどうか、そこに潜む破壊性の怖さ」の分析も、同じ位相といえる。ただし、「今日、カリスマと呼ばれるリーダーは、ウェーバー的な意味におけるカリスマとは異なる。彼がカリスマに込めた政治的な論争性の援護という視座が抜け落ちている」と指摘する。

「仕事としての政治」でウェーバーは「官僚の行為は"怒りも興奮もなく"なされる。政治家によって決定されたことを、自分が反対の意見をもっていたとしても、淡々と、誠実に人格を介在させずにやり通すことに、官僚の"名誉"がある」という一方、「政治家を特徴づけるのは"闘争"である。違う立場の人と論争し、自分の決断・決定に責任を負うことが求められる」という。私は「官僚主導か政治主導か」という二者択一論には違和感がある。官僚は優秀だが、世の中の動き、多様な民意についてのセンサー、動体視力には弱く、前例踏襲主義に陥りがちになる。政治家は"民の中"で動いている。厳しい選挙という審判が常に待っている。緻密性に欠ける所もあるが、時代の変化という"時間軸と動体視力"は不可欠だ。大事なことは役割が異なり、違う世界に生きてきた両者が交わり、いいコンビネーションでやっていけるかどうかだと実感する。そこに"悪しき忖度"を乗り越えるカギがあるとも思う。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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