愛と性と存在のはなし.jpg「セクシュアル・マイノリティは存在しない。なぜなら、マジョリティなど存在しないから」「異性愛以外の愛の多様性を認めましょうと言っても、それはただの言葉であり、努力目標である。努力目標だから、すぐ『べき論』になってしまう」「『セクシュアル・マイノリティ』を語るときに盲点となるのは、無意識に『ヘテロセクシュアル(異性愛者)には問題がない』という気持ちになることだ」「『男は』『女は』という言葉は、異性愛者の間にだけある。それは両性を分断する言葉だ」・・・・・・。性自認と性志向に多様性を認めようというのはけっこうだが、その前に、一人ひとりが自分と自分の性についてわかっているのだろうかと、「愛と性と存在」についてラジカル、根源的に真正面から、しかも自分や友人の生命からの声を露わにして問いかける。「男と女の脳」「LGBT」「妻(夫)のトリセツ」などとは全く次元を異にして、人間存在に迫る圧倒的な力によって既成の"壁"が崩れ去る。

「『敗北を抱きしめて』でジョン・ダワーは『昨日まで危険で男性的な敵であった日本は、一度のまばたきのうちに、白人の征服者の思い通りにできる素直で女性的な肉体の持ち主へと変身した』と言っている。敗戦後の日本とは、それは女だったのだ」「2019年東大入学式の上野千鶴子の祝辞――私は男子新入生の立場になったと想像してみて、残酷だと思った。敏感な男たちに極度の緊張と罪悪感を与える」「ジェンダー(性の社会的役割)の問題とセクシュアリティ(身体も含めた性)の問題が、このスピーチでは混ぜられている。いや、セクシュアルな主体として、誰かを愛し、誰かに愛されたいと願う個人のことはほとんど扱われていない」「女性優位の言論空間――女の人生はわかりづらい。女は生きづらい。女は生まれて死ぬまでホルモンに体調から感情まで支配されて生きるようで・・・・・・自分の思い通りになることは少なくて・・・・・・セックスにまつわる負担は女に一方的に、圧倒的に多い」「#MeTooの当事者には、いつだって特定の『加害者・その人』がいたはずだ。それがいつしか『対男』のワードに#MeTooが定着しつつある危険性を感ずる」・・・・・・。

「草食男子という誤認――男のリスクは女より高い、男になれない男たち、"セクハラ"という言葉の有効性、セクハラの多くは途中まで恋愛的、セクハラとは"身内感覚""DV(ドメスティック=身内)"」「好意や愛が反転したときが、いちばん人が傷つく。愛と性はずいぶん違う。人は一人ひとり違うし、そこには性別という究極の不均衡のファクターもある」「愛の不在、性の不在――人類はまだ、ホルモンと外形レベルで性別を変えるという実験を、近年までしたことがない。最初で最後の問題は、心である。身体を変えても心は全とっかえにはならない。性同一性障害は、ほとんど自然状態で存在する。自分の生まれついた性に、100%くつろげる人はいない。どこがどうずれているのか、そのかたちを可能な限り精密に知ることが、人が生きていく必須の知恵となるだろう。それは『治療』ではない。『生き方』だ」・・・・・・。そして赤坂さん自身や友人の深い苦悩、愛とセックスの"ずれ"、身体性と存在について語るのだ。「愛があるが、セックスが難しい」「愛がない。セックスがある」「同性愛とはきっと同性を異性と感じる感性のことだ」・・・・・・。

「すべての人は、モザイク状にできていて、男であり女である。比喩でなく、多様性のお題目でもなく、細かく、いろいろなことがずれている。そのモザイクのピースが、女と男、どちらかに生まれたボディと適合したりしなかったりする。すべての人は性同一性障害をもつ」「わたしたちはもう人が異性愛者であることを自明とはしなくなった。にもかかわらず、異性愛よりずっと新しい人工概念であるはずの『パートナーシップとは一対のペアのもの』という信念の中で考えることを手放さない。同性婚が認められても結婚はペアのものである」と、これに不思議を投げかけている。その問いかけは、「他人とゆるやかな絆を持てたらどうなるか」「家族の定義」にまで発展することになる。

「未だ言葉がない苦しみのための言葉」――。愛と性が分離する。ずれる。あるいは、愛したい存在と欲望する存在がずれている。トランスの女友達M(元男性)の話は、性志向と性自認がずれて聞いているこっちも頭が混乱してくるが、赤坂さんは「できあいの用語を全部捨ててみた。そこにいるのは、まるごと、その人だ」・・・・・・。そして「定義のほうが大雑把すぎる」と思うのだ。「すべての人は、ずれている。ずれかたの程度は個人差があるし、感受性にもよる。『マイノリティ』は質の違いでなく、程度の差である」・・・・・・。苦悩のなかで、生命存在をかけての思考過程を開示してくれる。魂の思索は重い。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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