"大阪のお母さん"として愛され続けた浪花千栄子の波瀾万丈、辛抱、負けじ魂、好奇心の固まり、芸の道で天外を踏み越える、今日の日を体当たりでやってきたから今がある、仕事のためならムチ打ってでも頑張る――そうした次々に押し寄せる試練をくぐり抜ける人生を描く。今のNHKの朝ドラ。凄まじい。
明治40年、これでもかというほどの極貧の家庭に生まれ育った南口キクノは、5歳で母を亡くす。キクノは朝4時に起きて食事の用意、弟の世話や鶏の世話、掃除に洗濯。学校にも行けない。再婚した父親は女と蒸発、丁稚奉公に出される。「今日から、おちょやんと呼ばれたら、大きな声で返事するんやで」「浪花料理の下働きが2年と持たないことは周知の事実。キクノが8年間勤めたことは前代未聞だった」「親の束縛を断ち切るのは今や。19歳のキクノは京都に出る」「あんたも女優にならへんか。浪花千栄子の誕生」「昭和3年9月、道頓堀角座で松竹家庭劇(座長・曽我廼家十吾、渋谷一雄)スタート。千栄子は松竹系の劇団を移動しながら女優修業」「昭和4年、一雄は2代目渋谷天外襲名。千栄子は正式に松竹家庭劇配属」「天外と結婚、舞台では代役の日々」「終戦。天外、松竹家庭劇を飛び出す」「昭和21年、天外『劇団すいと・ほーむ』旗揚げ、千栄子38歳、18歳の藤山寛美加わる」「昭和23年夏、五郎劇と家庭劇と天外が合併、松竹新喜劇誕生」「天外の裏切りで離婚、桂川の川べりで死を考える。しかし、なんでうちが死ななあかんねん。仕返ししたる。後悔させたる。あんたがひれ伏すまでうちはやったる。負けへんで」「NHKが花菱アチャコの相手役に指名。大阪弁が達者でアドリブにも臨機応変に対応できる人は浪花さんしかいない。昭和27年1月から『アチャコ青春手帖』に出演し大ヒット。映画界からも声」「昭和28年、溝口健二監督から声がかかり、舞台から映画へ」「千栄子の夢・嵐山に家を建てる(昭和31年)。もの心ついたころから、千栄子には安心して過ごせる家などなかった」「ラジオドラマを映画化した『お父さんはお人好し』シリーズを含め、千栄子は生涯200本以上の映画に出演」「テレビの全盛期となりテレビ出演に大忙しの身となる」・・・・・・。
「舞台の世界は、食うか食われるかの戦場と言うけど、その戦場で、自分らのお芝居が勝つためには、いかに和を作れるかっちゅことや。うちにしてみれば、いかに、そんなええお母ちゃんになれるかにかかってくるねん」と言ったという。昭和48年、泥水の中に生まれ生き抜き、大輪の花を咲かせて、66歳で逝去。