乃公出でずんば 渋沢栄一伝.jpg乃公出でずんば蒼生を如何せん――俺がやらねば誰がやるとの心意気で、明治・日本に資本主義革命を起こし、その近代化を一気に加速させた渋沢栄一。2024年からの新一万円札の肖像が決まり、2月からNHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まる。私の地元・北区の飛鳥山に長く住み、そこで没した。1840年(天保11年)に生まれ、1931年(昭和6年)までの91歳の生涯であった。北康利さんが書いてくれることを待ち望んでいたが、渋沢の生きざまや思考、「論語と算盤」の信念に肉薄した期待どおりの素晴らしい作品。とくに、日本では西郷や大久保、伊藤、板垣等々の政治分野の国づくりが主流で語られるが、渋沢もたんなる「経済人」というのではなく、大蔵省や日銀や殖産産業、企業システムなど、まさに国づくりの骨格を築き上げた人物であったということが鮮明になる。

「論語と算盤」とは何であったのか――。商売は儒学では"金儲けの下賤な策"としてきた江戸以来のメンタリティーを渋沢は変えようとした。「魂を入れなければ資本主義は金儲けの道具になり、まさに下賤な業に堕ちてしまう」と考え、その最高の経典である「論語」を使って反転させ、公益につながるものであることの信念を貫き通した。「士魂商才」「道徳経済合一説」「社会的責任を忘れないリーダーの高い志」を唱え続けた。水戸学のプラグマティズム、朱子学批判。伊藤仁斎・会沢正志斎からのプラグマティズムとナショナリズムを継承しつつ、経済学的にも市場の"見えざる手"ではなく、「国家のため」「社会のため」といった公共精神、ナショナリズムが渋沢の思想と行動に現われる。経営の社会的責任について、P・F・ドラッカーは「彼(渋沢)は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないことを見抜いていたのである」と激賞したという。それが、岩崎弥太郎など同時代財界人との対立の根っ子にあることや並走した井上馨との距離感が鮮やかに浮き彫りにされる。政府にすりよって利益を得る政商の道を決して歩まず、社会・福祉事業にも力を入れ、戦争に反対し、財政規律を無視した国家経営にも異を唱え、行動した。

「人並み外れた行動の人」「強情っぱり」「強い意志と情をあわせもった人」であり、「常識や国境にとらわれないスケールの大きい人」であり、「誰の話も聞いて、即行動する"お節介"の人」であった渋沢の姿が活写される。大倉喜八郎、安田善次郎、古河市兵衛、浅野統一郎、佐々木勇之助、大川平三郎、中上川彦次郎、娘婿の穂積陳重や阪谷芳郎・・・・・・。明治から大正、昭和初期に至る間のあらゆる政治家、経済人との深い交わりと思想と行動。その結果の結実が驚嘆するほど見えてくる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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