小林秀雄の政治学.jpg政治に携わる者としては「政治学という学問と政治家としての振舞いは別物ではないか」と時折り思うことがある。「政治とは」という問いと「政治学」とのズレである。小林秀雄は「政治といふものは虫が好かない」といった。そして「政治と文学は異質の営みである」といい、「政治は転変する社会事情に直ちに応ずる政策を必要とする。臨機応変は政治に必須の原理であるが、この原理は、文学の世界、いや広く精神文化の世界では、必ずしも通用するとは限らない」という。政治は人間が成すものであり、人間学だ。「政治は虫が好かない」という小林秀雄だが、その人間洞察への鋭さは当然、政治への深い洞察となる。そういう意味で「政治」についての小林秀雄を探究する本書はきわめて刺激的で面白い。中野剛志さんは「政治」について小林秀雄を批判した丸山眞男を誤解していると真っ向から批判、マキアヴェリ、伊藤仁斎、荻生徂徠、福沢諭吉等々を論じつつ日本の伝統・文化に貫かれるリアリズム、実用主義を浮き彫りにする。圧巻の力業といってよい。

「リバティーとフリーダムは違う。リバティーは社会から与えられた市民の権利、フリーダムは自己を実現しようとする個人的な態度」「自由(フリーダム)を体現したのは、政治家ではマキアヴェリ、文学ではドストエフスキー、音楽ではモーツァルト」「政治とは国民の実生活を管理する実務であり、臨機応変の判断であり智慧である。政治はイデオロギーではない。イデオロギーとは、権力の手段へと堕した思想である」「政治とは『治国安民』、民を安んずることを目的にした現実的、具体的な社会の管理技術である」「丸山の『日本の思想』は戦時における日本の病理現象の原因を、日本の思想的伝統の構造の中に突き止めようとした"日本人の自己批判"であり、その思想的伝統の代表格が小林秀雄であった」「小林は、社会科学ではなく、文学の道を選んだ。丸山が言ったような、社会科学的思考に対する嫌悪や反情があったからではない。文学の方を好んだというだけである。小林が嫌悪したのは、思想で実際生活を支配しようとする似非社会科学=イデオロギーであったのだ」「兵法は観念のうちにはない。有効な行為の中にある。私は武蔵といふ人を、実用主義といふものを徹底的に思索した、恐らく日本で最初の人だとさへ思っている」「小林が実用主義と呼んで支持する思想は、プラグマティズムに非常に近い」「歴史の過渡期が困難なのは、新しい事態が到来して、従来の解釈や既存の理論が通用しなくなるからである。『事変の新しさ』だ。そうした時、マキアヴェリ、信長あるいは武蔵は、臨機応変の判断をするために、『物』そのもの、あるがままの現実を見ようとした(秀吉が判断を誤ったのは老いて耄碌したからではない。彼が取り組んだ事態が全く新しい事態であり、彼の豊富な知識は、何の役にも立たず、むしろ大きな障碍となったからだ)」「マキアヴェリ、信長らは『直接経験』に戻ろうとした。それが小林のいう『実用主義』『プラグマティズム』である」・・・・・・。

社会は不確実に変動するが、制度や習慣は固定的で硬直的で、人間の思考も既存の理論で支配されがちだ。「民を安んずる」領域で臨機応変に対応することは、容易なことではない。「政治」は臨機応変の創造的行為の闘争。時代の構造的変化を眼前にして、意味ある書に出会った。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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