きわめて奥深く、人間心理を探っていく。さすが青山文平さん。重厚で冷静で、行き着く所は人間の業、心の闇の深さと、究極の善悪同居の生身の人間。「生きる」ということへの問いかけだ。時は町人文化の栄えた文化・文政時代(1804年~1830年)――。ロシアが日本の北から、オランダ・イギリスが長崎等へと、日本に迫り、"海防"が幕府の重要課題となり始めていた。幕臣の監察を担う徒目付の片岡直人、優秀な彼に目をかける上役の徒目付組頭・内藤雅之。徒目付は幕臣の非道を糺す御目付の耳目となって動き、秘すべき内々御用も多い。青山文平「半席」から5年、"なぜ"を探る徒目付・片岡直人が、"見抜く者"として不可解な事件の真相とその動機に迫っていく。
長年連れ添った末に突然、離縁をされた63歳になる元妻・菊枝。重病で寝た切りとなった68歳の元夫・藤尾信久を、長子・正嗣の眼前で刺殺する。「なぜそんな歳になって、信久は大事にしてきた美しい妻を離縁したのか」「『同じ墓に入りたくなかった』という理由とは何か。そして越後の"火葬"とは」「"入りたくなかった"と"入れたくなかった"の違いは」、そして「元夫をなぜ離縁から3年半もたって殺害したのか」「"我の化物"菊枝は、なぜ首を吊って死んだか」・・・・・・。直人は、信久の思いと菊枝の思いの食い違い、"闇き業""生きていく苦しみを断つ"ことにたどり着く。「菊枝は鬼がすべてを統べる化物ではなかった。鬼との反りが合わなくなり、化物から抜け出そうとしていた菊枝がいた」「夫からも子からも"かわいそうな人"と思われて生き続けるのは甚く辛かったろう」「菊枝は信久を刺すことで夫を、息子を取り戻したのだ」と悟るのだ。
もう一つの事件――。10月というのに毎日決まった時刻に大川を泳ぐ男、しかも下手で溺れそうな男(蓑吉)がいた。その蓑吉が幕臣に斬り殺される。川島辰三は「お化けだ」と叫んで斬り殺したが、直人は死の間際に蓑吉が微笑んでいたことに"なぜ"と思う。そして蓑吉には弟・仁科耕助がおり、その耕助が水練の"稽古"が過ぎて溺れ死んだ。その"苛め"をしたのが川島であったことにたどり着く。直人の探索は更に進み、蓑吉・耕助の兄弟が幼き頃に想像を絶する苦難に遭遇したこと、蓑吉が抱え込んできた「闇がり」、東三河に起きた村が消滅するほどの凄惨な事件に突き当たるのだ。
いずれも心奥に深く沈潜する"闇い業"にたどり着く。重厚な圧巻ミステリーとなっている。