豊後の戦国大名・大友氏の「二階崩れの変」(1550年、天文19年)から6年、再び内紛・分裂の危機となる。当主・大友義鎮(後の宗麟)は、政より美と女に執着、とくに美貌となれば他の妻まで自らの正室や側室とした。家中の最高実力者の田原宗亀など一部の重臣たちが内政をほしいままにし、肥後方分の小原鑑元、"鬼"とあだなされる武将・戸次鑑連(後の立花道雪)などは、肥後や筑後・肥前の一部を平定して大友に服せさせていた。
義鎮の近習頭・田原民部は謀略をめぐらし、本書の主人公である同じく近習の吉弘賀兵衛(二階崩れの変で失脚した吉弘鑑理の長子)は振り回される。後世に「氏姓の争い」とも「小原鑑元の乱」とも呼ばれるこの大乱は、なぜ起きたのか。肥後を善政によって蘇らせた小原鑑元はなぜ挙兵に追い込まれたのか。相次ぐ謀略、裏切り、寝返りのなかでの武将の苦哀と覚悟を描く。胸に迫る力作。
乱を鎮定した戸次鑑連が「この戦はいったい何のための戦だったのか」との吉弘賀兵衛のつぶやきに語る。「戦はしょせん人と人との醜い殺し合いにすぎぬ。正義じゃ何じゃと理由をつけてみたところで、双方に言い分はある。正しい戦なんぞありはせぬ。あるのは、いかなる戦でも勝たねばならぬという真理だけじゃ。このたび神五郎(小原鑑元)は生きるために兵を挙げた。わしは大友を守るために戦うた。正邪はない。あるのは勝敗だけじゃ」「神五郎は大友への忠義を貫いて死んだ忠臣じゃ。己が生と死をもって富める肥後の地と民と二万の精兵をそっくり大友に遺したではないか。月は落ちても、天を離れず。神五郎は大友に叛する己が運命に打ち克ったのじゃ。むろん、世の者は知るまい。されど天と、わしと賀兵衛が真実を知っておる」・・・・・・。「戸次鑑連は鬼だ。たしかに苛烈な鬼だが、情にあふれた鬼だと賀兵衛は思った」・・・・・・。