月と日の后  冲方丁著.jpg「欠けぬ望月の家に生まれ、やがて日輪のごとく朝廷を照らし続けることとなった稀代の国母、藤原道長の娘・彰子(988年~1074年)」「藤原道長の娘にして、一条天皇の后。一条天皇と結ばれてのち、三条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇、後三条天皇と6代も見届けてきた彰子」「道長の思惑のまま12歳で一条天皇の后となった彰子は、優しく包んでくれる一条天皇の心を抱きしめ、87歳で没するまで天皇と一族を支え続けた」・・・・・・。父に利用されるだけであった内気な少女が、一族の闇、怨念、陰謀が跋扈する宮廷でいかにして生き抜いてきたか。いかに賢い女性であったかが活写される。

想像を絶する宮廷内の権謀術数、次々に起きる病魔による死、その怨念を晴らそうとする加持祈禱、そして陰謀によって起きる火災・・・・・・。凄まじい。「幼い敦康を胸に抱いた14歳のあの瞬間から、こうして30余年を経て自ら見出したのが、この菩薩道であるといってよかった。・・・・・・もとから派手な行ないを避ける性分である。史上稀に見る権威と繁栄を勝ち得た国母としては、慎ましいとさえいえる振る舞いをしてきたのだ」「人事こそ政治の根底である。彰子は国母として、それに影響を与える存在であることを公然と示したのだった。12歳から後宮で学び、29歳となって国母としての立場を築いた彰子の、まさに面目躍如である。生来の慎重な性格も幸いし、諸卿から白眼視されるようなことも、表立ってはなかった」「定子が遺した3人の子どもと一条天皇の輪に、自分を入れてもらえるという幸福である。懐妊してのちも、敦康を守ろうという気持ちに一点の曇りもなかった」「道長はいよいよ苛立ちを募らせていた。まだ彰子は帝の子を授からないのか」・・・・・・。

中宮・定子に仕えた清少納言。彰子は紫式部によく支えられた。彰子と紫式部との心のやりとりが面白い。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」――栄華に酔いしれる父・道長や夫に照らされる"月"であった彰子が苦難・葛藤のなかで自ら光を放ちゆく"国母"となる生涯を鮮やかに描き出す。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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