ミャンマー政変.jpgミャンマー政変。2021年2月1日、ミャンマー国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問兼外相、ウィンミン大統領、二人の副大統領のうち文民のヘンリーバンティオ副大統領らを拘束した。「国の司法・立法・行政の権限が国軍総司令官に移譲された」と宣言され、もう一人の副大統領・国軍出身のミンスエが暫定大統領に就任、三権をミンアウンフライ国軍総司令官に移譲された。理由は前年の総選挙での不正。民主化に舵を切っていたとみられていたミャンマーの突然の政変は、なぜ起きたのか。その背景は何か。副題は「クーデターの深層を探る」だ。

まず上げるのが、スーチー率いる民主派NLDとビルマ人ナショナリズムに基づく国軍との対立。「2011年に成立したテインセイン政権は予想以上の自由化を進めた」――私は驚くべき広大なネピドーで、2013年、そのテインセインに会った。またティラワ港の開発を日本が支援していること、ヤンゴンの鉄道への支援などを目のあたりにした頃だ。しかし、2015年の総選挙でNLDが大勝、国軍系のUSDPは大敗。国軍系は政権を失い、スーチーが復権。憲法で国軍の権利が擁護されている状況を突き崩しにかかった。スーチーが国家顧問法を成立させて大統領の上の存在になったり、ロヒンギャへの不法行為を否定してきた国軍に泥を塗るような発言をしたり、いよいよ軍の権限を弱める憲法改正案を提出する(20年1月)に至った。当然、国軍の権利構造を脅かすことになる。そこで昨年11月の選挙だ。

スー・チー派との亀裂が決定的と国軍は追い込まれていた。ミャンマーは国軍が担ってきた国でもあり、その構造が激変しているのだ。

ミャンマーのもつ国家の構造は複雑で、国内に100以上存在するという小数民族の問題がある。その一つが「ロヒンギャ70万人の流出」だ。ロヒンギャはラカイン州北部を中心に暮らすベンガル系の人々で言葉もベンガル系で、宗教はスンニ派イスラム教徒だ。バングラデシュなどベンガル地域から来た"よそ者・ベンガリー"と差別的に呼ばれる。ビルマ人(人口の70%)は「彼らはミャンマー人ではない」といい、スーチーも歯切れは悪く、国軍からもビルマ人からもロヒンギャからも批判される。社会でも、スーチーは「問題解決より自国の弁護に力を入れた」のだ。少数民族が多いが、ゴールデントライアングルの「ワ自治区」は少数民族武装勢力で最大の兵力をもつ。中央政府や国軍も自由に立ち入れない事実上の独立国だ。ミャンマー東部シャン州南部の少数民族武装勢力「シャン州復興評議会」も大規模だ。シャン州は国土の4分の1を占める広さで、タイとの際にある。タイと同族の民族で、仏教徒。アヘン栽培の悪名もある。

こうした複雑きわまりない状況を、歴史や現地ルポも踏まえて解説しつつ、「狭まる言論」「問われる国際社会」「日本の役割」について率直に語っている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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