辻政信の真実.jpg「失踪60年――伝説の作戦参謀の謎を追う」が副題。私が小学校低学年の頃、親父から「潜行三千里」の辻政信の話をよく聞いた。そして参院選全国区で上位当選をして話題になったこと、さらに昭和36年、謎の失踪をしたことをよく覚えている。多くの調査・書籍があるが、改めて今、辻政信の真実に迫る本書は、なぜか新鮮。かつ、あの昭和の戦争の現場が、辻政信の生きざまを通じて蘇える。

「作戦の神様」とも「悪魔の参謀」ともいわれ善悪評価が二分される辻政信。ノモンハン事件やマレー作戦などを主導した伝説の作戦参謀・辻政信は1902年(明治35年)、石川県江沼郡東谷奥村今立という寒村に生まれる。山中温泉に近い、今の加賀市今立地区だ。貧しい炭焼きの子だった。優秀さと頑強な身体をもったが、何よりも真面目、真剣、反骨、貧しさを乗り越える家族の期待を一身に担っての精神的骨格、負けじ魂が備わったようだ。1917年、名古屋陸軍地方幼年学校に入学、1920年に首席で卒業、陸軍士官学校本科も首席で卒業。1924年には陸軍少尉となる。1939年、ノモンハン事件を作戦参謀として主導、1941年、太平洋戦争開戦時のマレー作戦を参謀として主導、フィリピン戦線、ガダルカナル奪還にも常に砲弾をくぐり抜ける前線に立つ。1945年終戦、バンコクを脱出し、まさに潜行三千里。1950年戦犯指定解除後、1952年には衆院選石川一区で当選。4期当選し、1959年参院全国区で3位当選。1961年、東南アジアへ視察旅行、ラオスで消息を絶つ。

「超人的な気力と体力と研鑽」「兵士たちをいたわり、その尊敬は絶大」「石原莞爾の日満漢蒙鮮の五族協和、道義思想、東亜連盟思想に感銘」「それに反して好戦的姿勢で、ノモンハンで独断専行」「関東軍を引っ張る最年少参謀」「タムスク爆撃でも最前線」「マレー作戦で作戦の神様」「フィリピン戦線、ガダルカナルの死闘」「ビルマ戦線」「終戦、一人で大陸にもぐり、アジアの中に民族の再建を図ろうと、大陸に潜ろうと決意」「政界という戦場――。兼六園での3万人講演会」「兄ともいう存在の服部卓四郎の死」「理想は妥協してはいけないが、手段は妥協しろ」「池田首相の訪米のための情報収集――。ラオスの内線が米ソの代理戦争であり、世界戦争に拡大することが懸念され、ラオスの中立化や南北ベトナム統一の可能性を探るため、ホー・チ・ミン大統領との会談をめざす。説得することを目的とする」「東南アジアで戦没した将兵の回向も」「戦いは敗けたと感じたものが、敗けたのである」「危険が来たら、それを避けずに、逃げないで死神に体当たりする。それが信念だ」・・・・・・。死を覚悟しての「冥土の旅」であったのか。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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