gyakutenmuzai.jpg歴史作家・河合敦氏の「ねね」を扱った小論「秀吉の正室として、留守・交渉まで行い信長、家康も一目置く」を公明新聞で読み、今年発刊された本書を手にとった。道鏡、平将門、平清盛、北条政子、足利尊氏、髙師直、日野富子、斎藤道三、松永久秀、明智光秀、小早川秀秋、由井正雪、徳川綱吉、吉良上野介、田沼意次、井伊直弼、大久保利通など"悪人"とされてきた24人をあげ、「本当に悪人だったのか」を分析する。いずれも「裏切り者」「卑怯者」「悪人」のレッテルを貼られた有名人だが、本当はどうか。

「歴史は勝者によってつくられる」「一次史料がない」「後に、歌舞伎や浄瑠璃などでドラマチックに仕立てあげられる」「当時の事情を調べると、そういう役目を担わされた人物でもある」・・・・・・。意外な真実が近年の歴史研究で明らかになり、「逆転無罪」と断言できる者も数多くある。「完全無罪としたい」というのが、例えば「北条政子(源頼朝を尻に敷き、実家のために息子を殺した嫉妬深い女―→むしろ悪いのは浮気性の頼朝であり、息子の頼家を殺したのも政子ではない)」「徳川綱吉(生類憐みの令を発し、違反した人間を問答無用で厳罰に処した暗愚な将軍―→生類憐みの令は戦国の野蛮さをなくし、忠孝・礼儀という儒教道徳をもつ人々の意識改革を促す目的で出されたものであり、良い内容であるうえ、処罪者は少なかった。巷説は嘘ばかり)」「田沼意次(賄賂政治を行い社会全体の退廃を増長させた男―→賄賂の授受は政敵の松平定信派の作り話にすぎず、経済感覚にすぐれた大胆な政治家だった)」である。

足尾銅山の鉱毒が環境破壊を起こしたことで、古河市兵衛は糾弾されるが、「鉱毒問題では改善策を講じており、市兵衛のおかげで鉱業が発展し莫大な国益をもたらしたから無罪」としている。小早川秀秋については「関ヶ原での寝返りは敵味方とも承知のうえだった」とし、井伊直弼についても「安政の大獄は側近の"ウソ報告"がきっかけだった」とする。石川五右衛門などは、一次史料でその名を確認することはできておらず、その名が登場するのは死後のこと。浄瑠璃や歌舞伎で格好の題材となり、尾ひれがついて天下の大泥棒・石川五右衛門ができあがったとしている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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