zeami.jpg佐渡に流刑された世阿弥は、何を思い、いかに暮らしたか。観阿弥を父とした世阿弥(1363年~1443年?)は、足利義満に庇護されて申学を深化、「風姿花伝」を著す。次の将軍・義持は申学より田楽を愛し、その次の義教は極端な弾圧に走り、1434年には世阿弥を佐渡に流刑とする。遠き北海の佐渡の島に、72歳になる老いたる世阿弥を流したのだ。しかも、座のすべてを任せ、頼んだ愛息の元雅はそれに先立つ1432年、伊勢で客死している。老いた佐渡の世阿弥は何を考えたのか。その至った境地を描き出す。世阿弥の世界を描くだけに、本書をいつの間にか声を出して読んでいた。そんな傑作だ。

日蓮、順徳院、そして世阿弥。「世阿弥の芸の力が、人心を惑わし、室町殿の政を損ずると危惧したのではあるまいか」という。都を出て、若狭小浜の港から佐渡へ。大田の浦や万福寺、八幡、泉へ。世阿弥はその時々、その土地土地を舞台に小謡を書き溜めていく。世阿弥を迎える佐渡の人々の心は暖かく、尊崇され慕われる。都から世阿弥に随伴する観世座の笛方・六左衛門、本間家家臣・溝口朔之進(得度して了隠)、佐渡の無邪気な海人の倅・たつ丸、おとよ、峯舟住職・・・・・・。そして佐渡の光、深いにおいの潮風、銀の浜、山川草木の息遣い、澄みわたる月、波もまた生まれよう時の盛り上がりと溜めが調べとなった。「この70を超える老翁の、これからの生き様に面白さを覚えている己がいた」とその境地を描く。世阿弥は都を思いつつ島で死した順徳院の無念の心を追い、客死した息子・元雅を思い、西行に思いをはせるのであった。そして、この佐渡の地で咲く「西行桜」を島の者と共に演ずるのだ。

「離見の見(花鏡)」「態と態との空隙こそ大事とする『せぬ所』」「一心わが万象、ただあるということ」「己の老木にまことの花が咲いてから(都に帰るも帰らぬも)」「私はこの佐渡で己のまことの花を咲かせとうございます」「世阿弥の花は都でだけの徒花(あだはな)か真の能の花か、翁となった己を見ているのでございます」「小さき一点に十方世界が含まれる一即多、多即一」・・・・・・。宇宙と我、生と死のあわい、幽玄の世界――喧騒の現代では深められない生命哲学の世界が、世阿弥の深き感知と境地を重厚に描くことによって開示され迫ってくる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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