「草の花」「廃市」「海市」「北の島」など、「死」「河」「海」などを孕み、心層の暗部を描き出した福永武彦の1959年の作品。10年も昔の夏、大学生の「僕」は「卒業論文を書くためにその町の旧家で過ごした」。そして今、その水の町、運河の町が火事になって町並があらかた焼失したことを新聞記事で知る。「あの町もとうとう廃市となって荒れ果ててしまったのだろうか」と、もともと廃墟のような寂しさのある、ひっそりとした田舎町を想い、下宿先の旧家のこと、美しき姉妹(郁代さん、安子さん)のこと、そして姉の夫・直之さんの心中・自殺という衝撃的事件の記憶が蘇える。
「安ちゃん、あなたは馬鹿よ。秀なんかにあの人を取られて・・・・・・直之はあなたが好きだったのよ」「お姉さんは間違っているのよ。兄さんが好きだったのはあなたで、わたしじゃないのよ」「あなたが、好きだったのは、一体誰だったのです?」・・・・・・。「この滅びたような田舎町」「運河がはりめぐらされた美しい水の町、しかし閉ざされた死んだような町」で起きた愛、誤解、邪推、その増幅・・・・・・。ゆったりとした時間のなか、厚みのある静寂と、人心の揺らぎを、自然の悠久さのなかに融け込む生命体のように描き出していく。中江有里さんの「万葉と沙羅」に突き動かされて読んだ。