「月」は、幻想的でもあり、透徹した静寂でもあり、哲学的でもある。小田雅久仁さんの9年ぶりの新作となる「月」にちなむ3つの短編集。ファンタジーではあるが、逆に現代社会の不安の根源、「日常が突然ひっくり返る」「人類の未来は、テクノロジーの加速化等によってディストピアになる」などが突きつけられ、恐ろしい世界に引きずりこまれる。
「そして月がふりかえる」――。不遇な半生を送ってきた男・大槻高志が、非常勤講師の不安定さからやっと抜け出し、35歳にして私大の準教授になり、長く交際してきた詩織とも籍を入れる。怪しげな赤い満月の夜、家族とともにレストランに行き、トイレから出てきた瞬間、別人になってしまう。詩織からは「どなたですか」「どっかで会いました?」と言われ、「世界は俺1人をはじき出し、ピタリと輪を閉じてしまった」のだ。高志は焦り、あがくが・・・・・・。
「月景石」――。早逝した叔母・桂子は石の収集をしていた。その形見である月の風景が浮かんだ「月影石」。主人公の澄香は言われる。「この石を枕の下に入れて眠ると、月に行けるんだよ。でもすうちゃんは絶対やっちゃ駄目。ものすごく悪い夢を見るから」と。そして、眠りの中で恐ろしい裏月の異世界に引き込まれていく。
「残月記」――。2050年前後の日本。不治の感染症である「月昂(げっこう)」が蔓延し、人里離れた療養所に隔離されていた。この月昂者たちは、明月期には、溢れかえる躁病的な創造性や性力が備わっていた。主人公の宇野冬芽も、その創造性を発揮し、木像を彫り続け、自作の背銘に「残月」と刻むようになる。時の日本は、2028年の西日本大震災も加わり、下條佑の国家資本主義、独裁政権が20年余り続いていた。人権を無視した残酷な独裁政権は、なんと、月昂者の勇士を戦わせる「闘技会」を隠れて開いていた。コロセウムや最近のイカゲームの剣闘士だが、冬芽はその頂点に立つ。勝者には褒美として「勲婦」と称する女を与えられていたが、そこで山岸瑠香と会い.愛し合うようになる。そして2051年に独裁政権を倒す自爆テロ事件が闘技会で起き、下條政権は崩壊。「瑠香ニ捧ぐ 残月」と彫られた木彫が療養所に次つぎ投げ込まれる。殺害を免れた冬芽の仕業だ。愛する女のために。残酷な世界――業と運命と月と愛がくっきり浮かんでくる。哲学性ある大変な力作。