「そもそも人は何故、名を残そうとするのだろう」「鳥の如く、獣の如く、ただ飯を食らい、糞をして、眠りにつく。その繰り返しでよいはずなのに、人は何故か生に意味を見出そうとする。・・・・・・そしてそれを後世に何らかの形で残したいという願望を心の何処かで持っている」「真田の家を守りつつ、後世まで真田の名を轟かせる。父(昌幸)の死後、この壮大な計画を持ちかけてきたのは源次郎(真田幸村=信繁)であった」「兄・信幸は真田を守るために徳川につき信之と名を変えた。九度山を出て大坂城へ向かう砌、信繁は真田家累代が受け継いできた字『幸』を名乗リ幸村となった」「『信』の字は、御屋形様の俗世の名、武田晴信からきているのである」・・・・・・。
慶長19年、20年(1615年)の大坂冬の陣と夏の陣。大坂城には、魑魅魍魎、曲者たちが、それぞれの思惑と野望と人生をかけて集っていた。元大名や武将や浪人・・・・・・。長曽我部盛親、後藤又兵衛、織田有楽斎、南条元忠、毛利勝永・・・・・・。その中心の一人が真田幸村であった。これら武将や浪人も、それに対する徳川家康、伊達政宗ら周りのものも皆、何年にもわたって積み重ねられた真田父子の想像を絶する智謀に翻弄される。そして本書は、幸村と緻密に連携する兄・信幸の凄まじき用意周到なる深慮遠謀を浮き彫りにする。いつも新しい人物像を鮮やかに描く今村翔吾だが、今回は真田幸村の陰に隠れがちであった兄・真田信之の凄まじさを描いている。
「なぜ幸村と名乗ったのか」「兄は徳川、弟は豊臣、家康を翻弄した父・昌幸の父子三人は何を考え志したか」――。その智謀と尋常ならざる父子の情が描かれる。心の奥底からの重い情念だ。「これまで家康は、昌幸を、真田という家を問答無用に憎悪してきた。だが今回、真田家について、親兄弟の間に存在する尋常ならざる情の深さを知った。その根にある絆を」。そして戦国時代最後の戦いである大坂の陣、大坂落城、幸村の死後、家康と真田信之の壮絶な言葉による智謀の戦いを描く。攻める家康、凌ぐ真田信之。その生死をかけた尋問は息が詰まるほどの緊迫感に満ちたものだ。そして真田信之は語るのだ。「背後には乱世が。眼前には泰平が。・・・・・・悠久の歴史に己の名を刻むために生きるのか、それとも歴史に刻み込まれて生きるのか。どちらが正しいというわけではなく、どちらもまた人という生き物のあり方なのではないか。ただ弟は、少なくとも前者を求め、荒れ狂う時代を風のごとく最後まで駆け抜けた」と。本書もまた素晴らしき力みなぎる作品。