beniiron.jpg吉村昭と津村節子夫妻。それぞれ自立した作家でありながら二人三脚。作家というとてつもなく厳しい世界に身を置き、徹底した取材で透徹した世界を描ききった吉村昭。「3日以上家を空けられない。とにかく書斎に入りたいの。書いているうちにわからないことが出てくればまた行く。だから長崎にも107回も行った。一緒に長崎に行っても、あの人は取材だけなのよ」「ぱっと出かけるのよ。異常な執念よ」「あなたが(大河内昭爾)、司馬さんを史談小説、吉村のは史実小説と区別をしたのはうまいです吉村昭さんは文明論をやらないで、史実しか書かない」・・・・・・。凄まじい世界が語られる。小説家として生きる事は至難の業。吉村昭は「絶海の孤島から壜に手紙を入れて流し、拾ってくれる人がいるのを待っている心もとなさだ」と言ったという。吉村昭・津村節子夫妻は、ひたすら同人雑誌に書き続けた。本書を通じて作家として生きる執念を感じる。

 「火事明リ」「遊園地」など津村節子の短編にはキレがある。「追悼・吉村昭――ストイックな作家の死」という津村節子と大河内昭爾の対談は、吉村昭の凄さを私生活からも抉り出している。「桜田門外の変」にも「尊厳死の否定」にも触れ生々しい。「ポーツマスの旗」「戦艦武蔵」の俊敏な取材や鋭い歴史感覚に納得する。「夫が『花の好きな女だなあ』と言っていた。・・・・・・私はあじさいが好き」「飛脚の末裔――せっかく散歩しているのに、お前の先祖は飛脚か、といった吉村の声を思い出した」など、とても面白く心に響いてくる。

 「観光地のあり方」の中で「かれは桜田門外の変は2.26事件と通じるところがある、と言っていた。維新と敗戦という共に内外の情勢を一変させた原動力で、井伊大老暗殺事件を書いた作品の中に坂本龍馬についての記述はあるが、さして重要な役割を果たしているようには書かれていない」とある。安倍元総理銃撃事件の後だけに、特別な思いにふけってしまう。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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