山岡鐵舟は勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末三舟」といわれるが、江戸城無血開城の立役者であり、明治天皇の侍従、剣・禅・書の達人だ。
その背後には、勝海舟あり、西郷隆盛あり、まさに「山岡は明鏡のごとく一点の私ももたなかったよ」(勝海舟)、「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、なんとも始末に困る人」(西郷隆盛)だったという。
半藤一利さんの「幕末史」にあるが、新しい国家をつくる以外に国家の生きる道はなかったあの幕末。統一の基軸のないまま、結局は攘夷の嵐、尊王攘夷運動が尊皇倒幕になり、暴力的権力闘争になってしまったなかで、勝海舟はそれを越えていた。
あの決定的瞬間に山岡鐵舟を頼みとするのだから、存在感の凄みと達人の境地はいかばかりであったろうか
孫子は「敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。・・・・・・勝の主に非ざるなり」という。日本には戦略もなく、しかも情報の分野を最も軽視してきた。
孫崎さんは、「そもそも今日日本では、安全保障や外交で、"勝利を得るには・・・・・・"の発想すらないのではないか」という。そして「情報に金を惜しむな、人を大事にせよ」と。
「イラン・イラク戦争(米国の変化)」「ベルリンの壁の崩壊(ハンガリーの動き)」「ニクソン訪中(ベトナム関連)」「フォーリンアフェアーズ誌」「9・11同時多発テロ(情報はあったがブッシュ動かず)」「米国情報機関の対日工作」「評価されていた日本の湾岸資金協力」等々。
具体的な事件について、なぜ予測ができたり、できなかったか、見逃したのか。――インテリジェンスとは何か(行動のための情報)を示している。