辻原登の「カラマーゾフ」新論.jpg我々の若い頃、難しいドストエフスキーの高い山に登攀することは誇りある挑戦だった。辻原登さんも同年代。しかも辻原さんは"ドストエフスキー嫌い"を公言し、あの「大審問官」にしても「いろいろな哲学者や批評家たちが、この大審問官の話というのを大袈裟に論じていますが、実はそんなに深い話ではないし、福音書を深く読んだ方がよほどいいと思う」という。ドストエフスキーの世界観、人物、作風、クセ、時代性等を含め、小説の中身を徹底的に読み込み、解き明かしているからこそ言える言葉だ。

難解であり、場面を心理も含めて立体的に建ち上げて詳細に語り、しかも未完であるがゆえに「カラマーゾフの兄弟」は重苦しいが、本書で暗雲を払うように解読してくれてきわめて面白い。「『カラマーゾフの兄弟』を『要約』する」「『カラマーゾフの兄弟』を深める」「亀山郁夫×辻原登 文学の『時代』と『時間』」「ドストエフスキーを貫く『斜めの光』」――。朝日カルチャーセンターでの「連続講義」。まさに「面白い(目の前がパッと開ける)」思いがした。


共生保障.jpg「共生社会」が叫ばれるが、背景には中間層の凋落、分断社会の進行、コミュニティの崩れ、支え合いが難しくなっているからだ。「支える側」と「支えられる側」に分かれるのではなく、地域住民が支え合いながら自分らしく活躍できるコミュニティ形成は重要だが、難題だ。

今、「現役世代の低所得化と未婚化」「困窮の連鎖と子どもの貧困」「高齢世代の"再困窮化"」等が進行して、しかもこれらが複合して貧困と孤立が顕在化している。深刻な、かなり本質的事態だ。宮本さんのいう「生活保障」は「雇用と社会保障」を合わせて考える提言だが、従来の「支える側」と「支えられる側」を峻別してきた2分法的な日本の社会保障を、複合的に解決への道をつけるということだ。「強い個人」でいる間に「弱い個人」に転ずるリスクに備えるという20世紀型、2分法的な社会保障制度を変える試みだ。雇用と社会保障・福祉の連携は必須であるが、雇用の劣化、非正規問題、未婚化、孤立化の連鎖と困窮の三世代化に具体的に対応しなければならない。支える側の「強い個人」が標準となりえない時代、身体的には高齢者イコール「弱い個人」ではないといえる時代を迎えたのだ。

そこで提起される共生保障とは、「支える側」を支え直す。職業訓練や子育て支援、就学前教育等だ。「支えられる側」も社会参加、就労支援を促し、より多くの人が「支え合いの場」に参入できるようにする。まさに共生保障は、多様な困難を抱える多数の人々を、社会につなぎ能力を発揮することを可能にする仕組みである。

社会保障の普遍主義的改革が重要だが、現実には「財政的困難」「自治体の制度構造」「中間層の解体」の構造的ジレンマに制約されており、これを突破する具体的対策を進める必要がある。「強い個人」が中間層の縮小とともに減少し、「弱い個人」が増大する今日、中間層の不安や怒りをポピュリズムで対処するのではなく、断層をふさぐ共生保障の政治が期待されている。

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プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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