なんとも美しい小説。水墨画のもつ奥深さと宇宙・生命の哲理の美しさ。師弟の峻厳な美しさ。青春の美しさ。それが際立つ作品。
高校時代に突然、両親を交通事故で失った大学生の青山霜介。喪失感のなか抜け殻のような日々を送っていたが、バイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。水墨画に関して感想を聞かれた霜介は、なぜか湖山に気に入られて内弟子となる。卓越した観察眼の持ち主だと見抜かれたのだ。全くの素人の霜介だが、一気に水墨画の世界に魅入られていく。湖山門下の西濱湖峰、斉藤湖栖、そして湖山の孫の千瑛ら、いずれも超一流の芸術家であり凛として優しい。
「水墨というのはね、森羅万象を描く絵画だ。宇宙とは現象、現象とはいまあるこの世界のありのままの現実ということだ。・・・・・・現象とは外側にしかないものなのか? 心の内側に宇宙はないのか? 自分の心の内側を見ることだ」「墨と筆を用いて、その肥痩、潤渇、濃淡、階調を使って森羅万象を描くのが水墨画だが、絵画であるにも拘らず着彩を徹底的に排する。そもそも我々の外側にある現象を描く絵画ではない」「水墨画は確かに形を追うのではない、完成を目指すものでもない。生きているその瞬間を描くことこそが、水墨画の本質なのだ」「命を見なさい。青山君。形ではなくて命を見なさい。・・・・・・私は花を描け、とは言っていない。花に教えを請え、と君に言った」「勇気がなければ線が引けない」「僕は線を思い浮かべていた。今日この場所にたどり着くまでに描いた線のこと、そこから多くの人が紡ぎ合っている線のこと。・・・・・・僕は長大で美しい一本の線の中にいた。・・・・・・線は僕を描いていた」・・・・・・。
諸法実相、如実知見。水墨画の一筆と線が「命」に向き合う。喪失感に沈んだ一青年が、水墨画が1本の線から描かれ姿を見せていくように成長の姿として描かれる。作者の砥上裕将氏は若き水墨画家。