kobiki.jpg時は町人文化の発展の文化年間(18041818)。江戸木挽町の芝居小屋、森田座の裏通り。雪の降る睦月の晦日の晩、仇討ちが行われた。白装束を纏った年のころ15 6の若衆。「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそわが父の仇。いざ尋常に勝負」――多くの人がいる前で、菊之助は血まみれとなった下男の首を高くかかげたのだった。それから2年後、菊之介の縁者だという若侍が木挽町を訪れ、目撃者から事件の顛末を聞いて回る。

木戸芸者の一ハ、立師の与三郎、衣装部屋のほたる、小道具の久蔵夫婦、戯作者の金治(野々山正ニ)。それぞれの身の上話は、いずれも心を打つものばかり。「(みんな)菊之介、菊之介ってあいつを可愛がっている。俺も含めてこの悪所に集うやつらはみんな、世の理ってやつから見放されて、はじき出されて転がり込んで、ようやっとここに落ち着いた連中だ。それが、まだ武士の理を引きずりながら仇討ちを立てているあいつに、どういうわけか心惹かれていく」・・・・・・。

驚愕の真相が明らかになるが、江戸の町人の陰影を隠して生きる逞しさ、明るさ、知恵、人の情が溢れて心地よい。かっこつけた武士道など簡単にけたぐりにあう。絶妙の構成と筆致に感心する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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