跋記に小説はその奔放な嘘にこそ真骨頂があり、歴史学には嘘は許されぬ。「本来相容れざる文学と史学とのいわば不義の子としての歴史小説を、あえて世に問う私の覚悟」と浅田次郎は書く。また「何気なく手にした書物を、その内容いかんにかからず熟読する癖がある(夥しい折り込み広告の類も)」ともいう。面白い。
幕末から維新。激動の世相だが、武士の仕来り、掟、形式などは定形化し、そのきしみは時に「おかしく」、時に「苦しく」、時に「かなしく」現われてくる。
形式の鎧をぬいで、人間がたちあらわれるのも、世の縛りが激変のなかでゆるくなっているせいかもしれない。「日本の文化と伝統」「武士道」というと礼賛される時代の流れがあるが、本書にある260年の甲羅の奥にある人間の真実の心、日本人の生真面目で智慧があり、やさしさ、風情の心の方を観ることが大事だと私は思う。