太田あきひろです。
「原発賠償仮払い法」が昨日29日、成立しました。今回の原発事故の被害者への賠償金を、東電に代わり国の責任で早期に仮払いをする議員立法で、公明党が主導してきたものです。事故の収束や諸対応が遅れに遅れていることから、この「仮払い法」成立は、福島県民の安心につながる大きな力です。
一方、急激な超円高は深刻。しかし、政府はまるで無関心であるかのように傍観するだけ、ひどい状況です。ここにきて、日本の経済界は「77円台ではとてもやっていけない」と、悲鳴を上げています。復興の担い手たるべき輸出企業がダメージを受けていることを傍観視してはなりません。
武田さんの『「核」論』の増補。本格的。私自身の歴史を思いつつ(ゴジラや鉄腕アトム、万博も)、昭和40年代後半にたずさわった「原子力船むつ」や「低
線量被ばく」問題、お会いした武谷三男さん、広瀬隆さん、高木仁三郎さんなどを思い出しつつ、また、衆院憲法調査会などでの憲法論争を考えつつ読んだ。原
爆被害にあった日本、米国との強調で来た日本、核エネルギーを科学の力で開放し制御する原発という技術を手に入れた日本――。原発「ハンタイ」「スイシ
ン」の対立のなか、議論は深まったか、成果をみたか。原子力は科学や経済を超えたまさに戦後日本そのものの濁流のなかに位置してきた。武田さんは立地にし
てもJCO事故などにしても、常に「弱者」にシワ寄せされた現実を浮き彫りにし、弱者を虐げる社会か否かを問え、という。当然押しつけてくる「スイシン」
に批判の目が注がれるが、「ハンタイ」運動家にも「科学的な思考を手放すリリースポイントが早すぎる」など厳しい。それは寺田寅彦の「ものを怖がらな過ぎ
たり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることは、なかなかむつかしい」を真面目に進もうとする、武田さんの誠実さと人間へのやさしさから来
るものだと思う
尊
き人生とは師弟に生きること。師の心と弟子の誓い。宇宙のなかで、自然のなかで、市井に生きる尊さと創造すべき価値。世界中に三千万本の木を植えた作中に
出てくるモデル・横浜国大宮脇昭先生に対する師の言葉「見よ、この大地を!
39億年の地球の生命の歴史と巨大な太陽のエネルギーの下での生命のドラマが目の前にある。まず現場に出て、目で見て、匂いを嗅いで、舐めて触って調べ
ろ!
現代人には二つのタイプがある。見えるものしか見ないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ。現場が発しているかすかな情報か
ら見えない全体を読み取りなさい」――。主人公の青年・坪木仁志は、佐伯平蔵からこの言葉を送られる。
最後に、小説では珍しく「あとがき」がある。宮本さんの思いだと思うが、本書は人生、哲学そのものの小説だ。
太田あきひろです。
22日と23日、福島市、相馬市、南相馬市に行き、漁協、漁港や水田の状況、仮設住宅、農協、畜産農家など、現場で懇談しました。どこを訪ねても放射能汚染が深刻。肉牛の全頭検査をはじめとして「全てにわたって、徹底した検査体制を速やかにつくってほしい」「安全が確認されなければ出荷できない」「情報を知らせず、これほどまで無策、後手ではやっていけない。ひどすぎる」「現場の不安、深刻さが全く政府はわかっていない」という切実な声を聞き続けました。
福島市などでは放射能汚染の不安が充満しており、除染の体制をしっかりとること。そして一刻でも早い原発事故の収束を求める声があふれました。
しっかり対応に頑張ります。
一部と二部で構成されている。東日本大震災の被災後、竹森さんが約1か月、感じたこと、考えたことを日記風に書いた一部。そして第二部では、1995年の
阪神大震災のあと、過剰設備が修正され、生産設備に対する需要拡大によって日本経済が好転した。今回も同じ現象が起こる可能性があり、そのためには供給の
ボトルネックが解消されること、つまり電力不足が解消されなくてはならない。それが2年で完了すれば、輸出力を増大させること(電力不足、世界的な脱原発
の流れもあって輸入の石油依存が高まり、石油価格高騰もある)が大切となる。計画停電もしっかりとポリシーをもって産業活動に配慮せよ。日本のエネルギー
(安価なクリーン・エネルギーはすぐには生まれない)を経済・産業の視点から考え、需要と供給を考え、そしてバブル崩壊後に最大の経済成長率を達成した
95年阪神大震災型の経済復興を考えよ。不況・デフレ下という同様の状況下で、過剰設備が解消され、好循環をもたらした「95年モデル」だ――竹森さんは
率直に言う。