夏目漱石(1867-1916)の「現代日本の開化」「中身と形式」など明治44年の講演4篇と大正3年の「私の個人主義」。
明治44年には漱石は44歳、49歳で亡くなるから5年前ということになる。
時代の激変・西洋文明の激流と対峙し、苦闘する思想家・漱石が自己一身にそれを受けて考えを確立する。
「現代日本の開花は皮相上滑りの開花である」「西洋の開花は内発的であって、日本の現代の開花は外発的である」「上滑りと評するより致し方ない。しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです」といい、「私には名案も何もない。ただ出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くのが好かろう・・・・・・」――。
「私の個人主義」では、ロンドンにおいて苦悩を突き抜け、他人本位を脱して「自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなった」と語る。「私の他人本位というのは、自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです」といわゆるわかったような学者・知識人にも厳しい。安心立命や「是の法法位に住して世間の相常住なり」を想起する。
「中身と形式」も「文芸と道徳」も、「道楽と職業」も、究極まで自己を追いつめたところの新たな論理を開示している。