
哲学も思想も文化・芸術も、とくに能楽にも造詣の深い多田さんが、壮絶な戦いのなかで、その深き透徹した人生観を語ってくれているが、何といっても"生きる"そのものの自らの新たな境地を語ってくれる。一言一言が、衝撃でもあり、ある箇所では息が止まり、また数分静かに考えたりもするほどだ。
リハビリを始めてから、自死を考えていた多田さんが、今までの自分ではない「新しい人」が目覚め、わき出してくることを感ずる。「鈍重な巨人」「寡黙なる巨人」が動き出す。一歩ずつ。そして小さな、かすかな一歩が感動となり、涙をぬらす。
小林秀雄についても語る。「死は日常茶飯事で、地獄も浄土も身近にそこにあった。それを醒めた目で眺め、たどり着いた想念が無常観だった。いまわれわれが感じている不安、不確実性は、中世にあった無常と通じている。だが現代は無常などといって心を澄ますことはできない。動物的にただ不安がっているだけだ。それは常なるものを見失っているからだと小林は指摘する。常なるものがなければ、無常を見ることもできない」――地獄を見た多田さんの言葉だ。