まさに海外の小説のよう。アフリカの戦火によって親・兄弟を失って難民となりオーストラリアに逃げてきた主人公。それ自体が新しいが、そのきめ細かな心象の描写は卓越したものがある。「シャワーの中で彼女(サリマ)はよく泣いた」「右も左もわからない。頼りになる親戚もいない。友人の支えも望めない。そしてなにより、言葉が伝わらない」「必死の思いでここにともに逃れてきたというのに、夫はいともあっさり妻と子供を捨ててしまった」――。一方、その友人となる日本人女性・佐藤サユリ。大学の研究員の夫についてオーストラリアに渡ってきたが、最愛の娘を託児所で失い、哀しみと喪失感にさいなまれる。
娘のいない色彩のない世界、光の先に追いやられた憂鬱やその下に広がる陰影を見てしまう二人だが、滲み出るような慈愛の交流によって「生きて死ぬということがただならぬことだ」ということを感じるようになる。幸せとは○○を獲得するものではない。幸せとはそこにあるものだ。自分を受け入れること、そして走り出すことなのだ。働き体に覚え込ませ、自分で素直にその場から立ち上がるしかないのだ。そこに苦しさをため込んだゆえに涙して見た夢や希望、夕陽、オレンジ色は消え、新たな境地がスタートする――そんな世界を描く。祖国とは、母国とは、母国語とは、人間とは、生きることとは、幸福とは、そうしたことを語りかけている。