
「我が人生と14台のクルマたち」と副題にある。
「私は自動車評論家・徳大寺有恒である以前に、自動車ファン・杉江博愛である。自動車が好きで好きでたまらない。さまざまなメーカーのクルマを、本当はすべて買って試したいと思う」――所有したクルマの数は約100台、試乗したクルマは約4000台。恐ろしいほどの数だ。
「ベントリィは調度である。クルマではあるが、クルマではない」「青春とともに駆け抜けた忘れえぬ2台の車、トヨペット・コロナとニッサン・ブルーバード」「自動車には乗る者に対して干渉して(語りかけて)くるクルマと干渉してこない二種がある。ジャグァーは、その語りかけがうるさいどころか、癒されるのだ。ジャグァーが発するメッセージは"上品であれ、紳士たれ"なのだ。ダンディに生きよう」「フェラーリ。このクルマは、たしかに私の人生を彩ったのである。フェラーリの官能性、いやクルマが本来持っている官能性というものに、初めて開眼したのだった。フェラーリは"死を予感しながら生きよ"と訴えてくる類いまれなクルマである・・・・・・。世の自動車が"自動運転"に切り替わっていくとき・・・・・・人間がドライブしない運転。快楽のない運転。フェラーリはそれを許さない、と私は思う」「物語を持つクルマ――これが名車の条件だと思う。それは背後にひかえる"世界"があるということだ。イギリス車の貴族性・悦楽性、ドイツ車のメカニズムへの偏愛とスピードへの憧憬、フランス車のアート性と合理性・・・」・・・。そして日本社会を全的に肯定した「終のクルマ」としてクラウンをあげて締めくくっている。
クルマとともに暮らし、ともに泣き、ともに笑って一緒に駆け抜けてきた徳大寺さん。ダンディだし、人生・生き方を考えさせるインパクトがある。