
イスラーム世界にもともとあった移動・情報ネットワークと統一共同体概念――これが、欧米から始まったグローバリゼーションの流れのなかで、さらに緊密化し、強化されてきた。・・・・・・そこに国境も情報の壁も乗り越え、多種多様なものとつながりながら新しい解釈が解釈者によって生まれている。世界のイスラーム化現象だ。
その解釈には当然、キリスト教世界、近代文明、異教徒との関わり、その国の風土と解釈者の生い立ちが関係する。そしてまた、クルアーン解釈においては、その言が当然、アッラーの使徒であり、預言者であるムハンマドの時代の社会、文化、言語の制約と普遍的原理をどう考えるかという問題に常に直面する。
4人が登場する。まずアメリカ人「フェミニストの模索」――アミナ・ワドゥードとその解説書「クルアーンと女性――聖なるテクストを女性の視点から読む」だ。男女平等の視点によるクルアーン解釈だ。次にアパルトヘイト解決への道――ファリド・イサクだ。「解放のための宗教的多元主義」の観点からクルアーンを解釈した「クルアーン、解放そして多元主義――抑圧に対抗するための宗教的連帯に関するイスラーム視点」だ。次にイスラーム主義への回帰――ビラール・フィリップスだ。西洋社会の誤りを正す最善の書と考え入信した彼の解説書が「『部屋』章解釈――クルアーン四九章への注釈」だ。そして西洋社会との協調――フェトフッラー・ギュレン(トルコが生んだ世界的市民運動家)の解釈書「クルアーンを内省的に読む」だ。自己を律し、他宗教との対話を追求する。
プノンペンで著者のご主人から紹介された本書だが、丁寧に、真摯に、文献に当たり、「グローバリゼーション時代の宗教」を示してくれている。