ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」から最後の「俺はまだ学ぶぞ」、ミレーの絶筆「鳥の巣狩り」、ティツィアーノの絶筆「ピエタ」など、すさまじい気迫の絵画もあれば、色彩の艶は褪せ、無味乾燥の教科書のごときボッティチェリの「誹謗」、魂が抜け落ちたダヴィッドの「ヴィーナスに武器を解かれた軍神マルス」などの晩年の絵画もある。ボッティチェリ、ラファエロ、ブリューゲル、グレコ、ルーベンスからフェルメール、ゴッホに至るまでの15人の画家の「絶筆」に迫り、生きざまを剔り出す。「畢竟、芸術作品は、産み出した本人を語るものだから」と中野さんはいう。
「明治時代に西洋文化を積極的に学び始めた日本は、ちょうどそのころ大人気を博していた印象派作品を、絵画の手本と思ってしまった節がある。・・・・・・それは長い絵画史におけるほんの最近の潮流にすぎない。西欧絵画はまず神とともにあり、王侯の嗜好とともにあり、時代ごとの民衆の生活とともにあった」・・・・・・。中野京子さんの著作にはいつも引き込まれる。