伊達政宗――。永禄十年(1567)8月、出羽の米沢城で生まれ、寛永13年(1636)5月、70歳で亡くなった。「政宗は死に至るまで天下を夢見ての往生であった」「政宗の五度目(の挑戦)もあと一歩届かなかった」「儂は天下を狙っておる」「豊臣を討つ戦いになるか。家康を討つ戦いになるか。四度目は明確にしたいものじゃ。(大坂冬の陣の参陣)」・・・・・・。
しかし、世に出る時が遅かった。「20年、いやあと数年早く生まれておれば、太閤に頭を下げることもなかったがのう。思い出すと腸(はらわた)が煮え繰り返る」。天正13年(1585)に秀吉は天下を掌握するための領地拡大阻止・私戦禁止の惣無事令を出した。奥州の大半を手にしながらも天正18年(1590)の小田原での死装束を纏っての秀吉下での屈辱に始まり、常に秀吉に押さえられ、その死後は家康に抗いながらも下らざるを得ず、大坂冬の陣、夏の陣に至る。その怒り、苦衷、天下取りの野望が描かれるが、終章「新たな企て」において、腹臣片倉景綱の死、家康の死、乱世の終止符への志、北上川改修、新田開発、そして家光の後見役の姿が、短く描かれる。