日本史のなぞ.jpg「なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」が副題。なぜ日本には革命がなかったのか。そのなかで唯一の例外として北条泰時がある。革命の困難、革命の不可能性を具現するのが天皇(の持続)だが、北条泰時は正面から皇室と朝廷と戦い(承久の乱)、成功した。「清盛や頼朝がなしたことは、まだ革命とはいえない。・・・・・・彼らは結局、天皇や皇室の権威に助けられ、その権威を受け入れた上で活動しているからである。日本史の上での真の断絶は、清盛や頼朝のところではなく、泰時のところで画されているのである」という。

「天皇の機能の中核は、この"知る"ことに、執政の現実について"知る"ことにあったのではないか」「聞知してくれる天皇がいなければ、そこに帰属していた意志の"再現"という体裁を構成することができなくなってしまう」「臣下たちの欲望や願望を、ひとつの意志へと転換する装置だったのではないか。天皇の身体を通過することで、それらは政治的に有効な決定となる」・・・・・・。

中国の易姓革命(中国の皇帝の命令は、天命こそ根拠)、孟子の革命思想、「中国の易姓革命は、革命を否定する革命だが、西洋の革命は、まさに革命としての革命」「天の機能が維持されるためには、天は君主にとって"他者"でなくてはならない。それゆえ、日本には易姓革命はない。その端的な現れは、天皇が姓をもたないということである」・・・・・・。

唯一の革命家とする北条泰時を通じ、「革命」の視点から「東の革命、西の革命」「権威の源泉」を剔抉する。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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