19世紀後半、絵画の世界は大きく変わり、「印象派」が躍り出る。その真ん中にクロード・モネ(1840~1926)があり、1873年作の「印象―日の出」がある。「印象のまま描いた落書き」と酷評されたが、その名の「印象」は「印象派」の由来となり、大きな流れを形成していく。モネ、セザンヌ、ルノアール・・・・・・そして20世紀絵画の潮流を形づくる。
印象派誕生以前のフランス画壇、従来からの保守的なアカデミーの権威は絶対であった。そこにアトリエの人工的な光と、つくりものめいたモデルのポーズに飽き飽きし、現実の世界を描こうとしたモネらの反逆児がアカデミーの呪縛を破って登場した。その背景には、産業革命があり、交通網の整備、オスマンのパリ大改造の都市計画、人の自由な往来があり、水と緑の憩いの空間づくり、セーヌ川の美しさ、パリのカフェテラスがあり、さらには写実を根本から揺るがす写真の登場もあった。時代が新しい舞台をつくったわけだが、日本の浮世絵もパリ万国博覧会を通じて大人気を博し、影響を与えた。
日本人は印象派になぜ魅かれるのか。それは時代の新しさに呼応しようとした意識自体の新しさ、息吹きとともに、日本人のもつ自然観(草や花、自然の中に神や命が宿る)があるのではないか。風景への没入観、世界と自然との一体感があるのではないかという。
人間の自由意志とは・・・・・・。難しくなっている「これからの時代の自由論」を「分人主義」で議論を整理し、解いていく。このあふれる情報社会、IT・IoT・AI・BTの社会――。自動運転、ドローン、ビッグデータ、レコメンド機能、シェアリングエコノミーなど身の辺りではテクノロジーのとてつもない急激な変化が眼前にある。「自由意志」「自由選択」と思いがちだが、管理され、操作されている。モノを買うこと一つをとっても、あふれるメディア等によって思考ということについても・・・・・・。はたして「自由のこれから」はどう考えたらいいのか。
「社会の監視化が進む中で、社会が多様性に理解を深め、寛容性を養うことが大切」「印刷本から電子本、車の自動運転化(道路のあり方も)等、キーワードは"混在"する未来だ」「アーキテクチャが生活を自動化していくが、刻々と自由を奪われていくが、心地のいい奪われ方として利用され、自由は一定方向に制限されていく」「ロボット兵器、虫に偽装したドローンなど不安の増大とともに、民間が監視カメラや防犯カメラを積極的に設置したいという"みんなが監視を望む社会"という構図の逆転が起きている」「専門家の権威が尊重されなくなり、バラバラの個人だからこそ煽られ、大雑把な感覚的意見がうねりとなる」「遺伝子的に人間の優劣が可視化される社会にどう対応するか」「情報過多の時代における縮減の方法」――。
「"分人"という概念は"個人"という主体概念が限界に来ていると深く感じ発想した」「人はみんな複数の人格を生きている。"分人"とは対人関係ごとに生ずるさまざまな自分のことだ。1人の人間は、複数の分人のネットワークでできており、"本当の自分"という中心はない」「私たちは、自身のアイデンティティを、複数の仕事――その人間関係と収入源――家族や友人、趣味といい多数の関係性の集合として捉え直さなければならない」といい、「対外的な関係性に基づく分人の構成をコントロールできる――これは、私たちにとって、自由の大きな意味がある」「複数の分人を生きる、というのが私たちの自由の根幹」「複数化することで、いつでもそれぞれの対人関係から離脱できる状態でいることが重要」という。