あまりにも凄絶な人生。柳美里さんの過酷なる世界に我が身を浸み込ませるのは不可能に近い。人生、生命力を考える。
在日韓国人として生まれ、小学校ではいじめに遭い、父はパチンコ屋の釘師で博打狂、殴られ続ける母は子供を受験で縛る。自殺未遂を繰り返し、高校1年で退学処分。東由多加率いる「東京キッドブラザーズ」に入団、共に住んだが彼は闘病の末に死亡することになる。付き添いもすさまじい。86年、演劇ユニット「青春五月党」を結成、最初に書いた小説が訴えられて出版できない。芥川賞受賞(「家族シネマ」)の時も裁判中。「わたしは過去を否定しない。その過去があって、今のわたしがある」――今は鎌倉から南相馬市へ移住、原発被害の街と人の中に入る。
宿業と向きあうが、自由奔放。宿業のなかで「深い人生でなくても幸せが欲しい」と思うのが凡夫の常だが、「人生にはやらなくていいことがある」といわれても、柳さんのように次々襲いくる難題に遭遇して格闘せざるを得ないのがまた人生というものか。いずれにしても凄まじい。