商社のエリート社員・竹脇正一。定年となったその日に、地下鉄で倒れ意識を失う。65歳。彼をこの世に生み出した母親と思しき人、彼を支えた家族・友人が次々に「おもかげ」として出てくる。彼は親を知らない、孤児となったいきさつも知らない。残酷な真実を胸の奥に蔵(しま)い続けて生きてきた。真っ白な戸籍。被い隠した劣等感の源でもあった。周りも同じような境遇の人が集う。親子の絆が切られていた妻・節子。両親が交通事故死して同じ養護施設で育った幼なじみの永山徹(親方)、両親の愛を全身に受けて育った娘・竹脇茜、その結婚相手で保護観察付きで親方に拾われた大野武志、そして集中治療室の隣のベッドの榊原勝男(戦災孤児)とそのマドンナ的存在であった峰子・・・・・・。
「無言の人生が詰まっている」静寂の集中治療室の中での回想は、「親を知らない」「子を棄てる」という究極の闇の深さを突きつける。「孤児にとって最大のハンディキャップは、愛の欠落ではない。むしろ、自分の人生の芯や核になりうるもの、あらゆる行為や道徳の基準となるものの欠如が問題だった」・・・・・・。それらをきわめて透明感をもった人間愛の世界に誘い描き切る。重苦しさがないのは「皆、貧しかったから」、そして右肩上がりの昭和の時代を生きたから、そして「あんたの人生、できすぎだぜ」との思いからだろう。深い感動作。