前著「森の日本文明史」に続いて、世界・宇宙をも視野に入れて新しい「生命文明の時代」が来ることをダイナミックに語る。その背景には「この広大な宇宙に生命の惑星地球が存在するだけで奇蹟にちかい。その地球に人類が生きているのはなおさら奇蹟である」との感動があり、一神教の人間中心主義に立つ「物質エネルギー文明」が死を迎え、生命の循環システムに立脚した「生命文明の時代」が構築される、という。前者は自然を支配し人間の王国をつくろうとしたが、これ以上自然の収奪が続けば、現代文明崩壊の闇が迫る。しかも、前者の制度・組織・装置系に憧れ、それを受容している間に、内核としての価値観や心も変わっている。それが今なお破局的に進行している。宇宙・自然の豊かな生命が失われ、人間が壊れていっていると危機感を発する。ましてや日本は、「生命を畏敬する多神教的な世界観と仏教的世界観を温存している」のではないか。それは「池田大作氏とトインビー博士の"21世紀の対話"」でも明らかではないか、という。そして、欧州と違って、城壁を持たない東洋の稲作漁撈型都市を「農村文明」として提唱する。ヨーロッパは「家畜の文明」であり、日本には誇るべき里山があり「森の文明」なのだ。つまり、これからの未来社会は再生力ある「自然=人間循環型の文明」を創造することだ、と強調する。
家畜を核とするヨーロッパの農耕社会は、自然搾取型の地域システムをつくり、これが世界を席巻するに至った。そして日本は「森の民」としての文明的伝統を維持してきたが、戦後のとくに昭和30年代から40年代、山村が急速に崩壊を始めた。「森の民」日本人の危機である。稲作漁撈民は、森の下草等、海の海藻等の資源を利用し、生命の水を核とする循環システムをつくりあげた。森を破壊し、自然から収奪する欧米文明ではなく、「自然を生かし己をも生かす」自然=人間循環系の縄文の文明原理にこそ真の価値を見い出す時だ、という。そして「里山・里海の生命の水の循環を守り通してきた祖先の生活様式(ライフスタイル)に感謝し、未来を想い描かねばならない」と強く主張し結んでいる。