平成の天皇は、よく「祈り」という言葉を使われた。「象徴天皇の務めとして最も重要なのは『国民の安寧と幸せを祈ること』であり、『国民を思い、国民のために祈るという務め』なのだと、天皇自らが国民に向けて明確に定義した発言」「しかも、ただ宮中で祈るのみならず、皇后とともに全国を回り、『人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと』もまた、同様に大切なのだとも述べている」という。宮中祭祀や行幸啓、さらには明治・大正・昭和・平成の歴史を皇室の「宗教」「祈り」という視点から論述する。
「明治になる前まで『天皇家=神道』ではなかった。明治政府が神仏分離令を発し神仏習合の慣習を排した」「18世紀後半、国学の大成者・本居宣長は古事記のアマテラスを至高の存在と見做した。この考え方は明治期に確立される『万世一系』イデオロギーを生み出す母体の一つとなった」「明治新政府の"神道の国教化"は失敗した」「神道の国教化をやめる一方で、明治政府は全国の神社の"社格"を定め、アマテラスを祀る伊勢神宮をその頂点に位置づけた」「歴代の大きな功績を挙げた天皇や皇后を祀る神社が明治から昭和にかけて造られた」「宮中祭祀を国民に知らしめるための祝祭日がつくられた」「"国家神道"の始まりに加えて、靖国神社という特異な神社が生まれた」「『文明開化をもたらした天皇』というイメージ戦略」「皇太子裕仁と母・貞明皇后との宮中祭祀をめぐる確執」「大正天皇の病気と『神ながらの道』を追求した貞明皇后」「昭和天皇の『戦勝祈願』の特異性と神の加護への傾斜」「皇太后節子の影響と昭和天皇」「敗戦間近の虚しき『敵国撃破』祈願」「『人間宣言』後も温存された宗教性」「宮中祭祀が"見えなくなった"戦後」「平成の天皇と災害と祈り」「新天皇・新皇后の即位と"スタイル"」・・・・・・。令和の時代の象徴天皇制のあり方を考える書。