明暦3年(1657年1月18・19日 将軍家綱)の江戸の大火(振袖火事)は、江戸城をはじめ市中の6割を焼失させ、死者は10万人にも及んだが、この月は火事に次ぐ火事の連続だったという。元日、2日、4日、5日、9日、18・19日。その6年前、由井正雪が江戸を焼き討ち、幕府転覆を企てたこともあり、「反幕浪人による放火ではないか」との噂が広まった。
再建の任を受けたのが、水戸徳川光國。若い頃は遊蕩狼藉で知られたが、いまや30歳。街の再建、学問の書籍等の収集・再興、そして治安にと情熱を注いでいた。幕府には"捨て子"を保護し、諜者として育てる「拾人衆」なる組織があり、老中・阿部豊後守忠秋は"子拾い豊後守"とあだ名されるほど孤児の保護に熱心だった。そこに親を殺された無宿者の少年・六維了助が加わり、光國はその「拾人衆」の目付け役にも任じられる。
浪人が跋扈し、火付盗賊、火事場泥棒、辻斬りが繰り返される江戸・・・・・・。光國らは賊とその黒幕を追う。当時の世相がダイナミックに描かれ、目黒の五百羅漢寺、水野十郎左衛門と幡随院長兵衛、初代横綱・明石志賀之助、鎌倉の極楽寺良観と火災などの話が挿入され興味を惹く。