この世は、たくさんの不思議に溢れている。可視の世界、有限の世界の背後には、それを支える不可視の世界、無限の世界が広がっている。それがある瞬間、記憶の隙間に現われるのかも知れない。「今どきの座敷童子(ザシキワラシ)は、日本家屋じゃなくてビルに棲んでいるってわけだ」「古い建物に棲みついていて、壊される時に姿を現わして、今度は別の建物に移るんじゃないかな。幽霊というより、むしろ座敷童子、今はビル童子か」・・・・・・。白いワンピースに、麦わら帽子。廃ビルに現われる"少女"という"都市伝説"が全体を通じて奏でられる。
古道具屋を営んでいる兄の纐纈太郎。ある瞬間、ある場面で物(モノ)に触れると過去が見える不思議な能力をもつ弟の散多(サンタ)。建築事務所で幅広く仕事をしていた両親が事故死する。二人はその面影を追って、取り壊し予定の建物を訪ねたり、古い「タイル」を探し、"スキマワラシ""あの女の子"に遭遇する。そして「なぜ次男なのに散多(サンタ)なのか」「おまえ、女のきょうだいがいたよね」という生来の疑問を持ち続けていたが、「ハナちゃん」と呼ぶ声が聴こえたり、「醍醐覇南子(ダイゴハナコ)」という女性に出会いから親しみを感ずるのだった。太郎・散多の母の旧姓が"醍醐"であり、太郎とハナコ、そして散多との"縁"の世界をなぜか感ずるのだった。
本当なのか、幻なのか、思い違いなのか。しかし生命の奥底に刻まれた"縁"と"因"の世界が、突如として噴出することは現実にある。その生命の感得が世界を知り、人生を深めるとしみじみ思う。