民主主義とは何か.jpg「コロナ危機におけるリーダーシップと民意」「英のEU離脱、トランプ現象と格差」「ポピュリズムと政治」「SNS、デジタル社会と政治」等々、「民主主義」の問われる課題は常に重い。本書は世界における民主主義の思想と歴史を再検討する。「民主主義とは『参加と責任のシステム』である」との軸で、民主主義を巡る諸問題とその解決の方向性を示す。当然、民主主義を巡ってのギリシャ以来の論調を凝縮して解説し、自由・平等・議会・政党・議院内閣制など、全方位から、また時間軸から論述する。前著「未来をはじめる」とともに、膨大な人類の思考・営為をきわめて明確、わかりやすく語る。大変面白く有意義、納得の著書だ。

今日の民主主義の危機として「ポピュリズムの台頭」「独裁的指導者の増加」「第四次産業革命とも呼ばれる技術革新」「コロナ危機」の4つを提起する。そして「参加と責任のシステム」である民主主義を、今後も"試行錯誤"を続け、具体的な制度化を充実させていく必要を説く。ダールの「民主主義という理想と、現実とのギャップを直視する」「政治的平等、有効な参加、知識や情報の普及」「決定すべき事項の選択権、そして包括性の民主主義の基準」や、ロールズの「人々が自らの道徳的判断と突き合わせ、繰り返し検証していくこと」「人々が正義感覚、すなわち、他者に配慮して行為することへの感覚・能力を涵養していくこと」などを紹介する。自由・平等・民主との緊張感、参加と責任への意志、動体視力を共にすることの重要性だ。

歴史上で繰り広げられた民主主義への思想闘争の紹介は柔らかで痛快だ。民主主義を否定的に把えることがギリシャ以来、多かった。「プラトンは師であるソクラテスが民衆裁判にかけられ刑死する。『ソクラテスの弁明』に詳細があるように、多数者の決定に疑問をもつ。行き着いたのが、『哲人王』の構想だ」「アリストテレスは、堕落形態を論ずる。僭主政、寡頭政、衆愚政だ」「古代ローマの共和政は、民主主義が"多数の横暴""貧しい人々の欲望の追求"と否定的意味合いであったものを"公共の利益の支配"として始めた」「マグナカルタ(1215年)で貴族たちは自らの自由と権利を王に承認させ、王権に制限をかけた。これがイングランドの政治制度が発展する礎になった」「ホッブスは『リヴァイアサン』(1651年)を著し、個人の自由と安全を守るためには、無秩序を克服する強力な国家(リヴァイアサン)が必要だとした」「ロックは『統治二論』(1689年)で、リヴァイアサンを打ち立てる一方で、それを制約し、枠付ける議会の力もイングランドに確立しようとした」「1776年、北米の13植民地が独立を宣言、1787年の合衆国憲法は国家連合ではなく連邦国家としてアメリカ合衆国を打ち立てようとした"妥協の産物"」「単一不可分の共和国を掲げるルソーと、分権的な社会と地方自治を理想とするトクヴィルとは180度違うが、市民の主体的参加とそれに基づく当事者意識を重視する点で、同じ民主主義論の系譜に立つ」「ルソーは私的所有権制度こそが、貧富の不平等拡大の原因だと考え、相互に自由で平等な個人による社会契約によって国家を打ち立てることを主張した」「近代の民主主義は議会制を中心に発展、議論の焦点は、議会をいかに民主的にするかに向かった。そこに政党が生まれる。バークは政党とは単なる党派ではなく、政治的意見を同じくする政治家が政権の獲得を目指して結集したものと主張した」「ルソーの人民主権論に対し、コンスタンはあくまで個人の自由が大切だとした。政治参加に魅力があるより、自由とは何よりも自分の私的な生活を平穏に享受できること。民主主義と自由主義は矛盾、緊張関係にあるとした」「トクヴィルは青年貴族であったが、アメリカを訪問し、名もなき一般の人々の政治的見識の高さに感銘を受けた。ヒントは自治や結社の活動だった。生き方、考え方、生活様式としてのデモクラシーだ」「トクヴィルによって再び積極的な意味に転じた民主主義だが、これをより本格的な代議制民主主義の理論として構築したのは盟友・ミルだった(「アメリカのデモクラシー<1835年>」の書評をミルが執筆した)」「ミルは自由論に続いて1861年に代議制統治論を刊行、代議制民主主義こそが最善の政治体制だと指摘した」「20世紀に入り、ウェーバーは有能なビスマルクの負の政治的遺産を見て『完全に無力な議会』『政治教育のひとかけらも受けていない国民』を目の当たりにし、執行権が統治の中心機能だと看取し、大統領制に期待した」。そして「政治は結果責任、責任倫理を指摘した」・・・・・・。そして、ダールの「多元主義」、アーレントの「政治とは単なる利害調整ではなく、相互に異なる多様な諸個人が言葉を交わすことによって、自由で公共的な空間を創出することにある」というメッセージ、ロールズの「正義論」、日本の吉野作造の「民主主義」、丸山眞男等の"戦後民主主義"に論及する。

民主主義は時代とともに、風雪を経て、未来も試行錯誤しつつ発展していくし、させていかなければならない。「参加と責任のシステム」と宇野さんはいう。納得する。「参加」のシステムは当然だが、「責任」についてこそ古代ギリシャ以来の人類の思考と試行があったことを本書からひしひしと感じた。アリストテレスの「衆愚政への懸念」、プラトンの「多数者の決定への疑問と哲人王」、公共の利益を考える「ローマ共和制」、ルソーの「一般意志」、トクヴィルがアメリカで見た「自治や結社の活動」、ダールの「多元主義」、ロールズの「正義論」等々は、参加する人々の「責任」の中身、社会全体の質的中身を問うことなしに民主主義を語れないということではないか。「政治は結果責任」を主張したウェーバーは、ナチス後であればどう発言したであろうか。そして「無力な議会」「政治家の劣化」「ポピュリズム」の今であれば、どう発言したであろうか。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任、公明党前代表。元国土交通大臣、元水循環担当大臣。

現在、衆議院議員、党全国議員団会議議長、東京第12総支部長、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問など。

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