「ママがね、ボケちゃったみたいなんだよ」と、江別市に住む智代に函館の妹・乃理から母・サトミのことで電話が入る。「パパ(猛夫)はさ、お姉ちゃんにだけは自分たちの弱みを握られたくないから、自分からは頼れないわけよ・・・・・・」という。物語は「智代」の話、智代の夫・片野啓介の弟・涼介の嫁となる「陽紅」の話、「乃理」、「紀和」、認知症になったサトミの姉「登美子」の話とリレーでつなぐ。人生には"店じまい"という仕事をやめる時もあれば、年老いて「家族じまい」という人生の区切りをつけなくてはならない時も来る。誰人も逃れることのできない身につまされる話だ。
「ふたりを単位にして始まった家族は、子供を産んで巣立ちを迎え、またふたりに戻る。そして、最後はひとりになって記憶も散り、家族としての役割を終える。人の世は伸びては縮む蛇腹のようだ」「この道は果たして、戻る道なのか征く道なのか――長い直線道路の中央には、午後の日を浴びた白線が続いていた」「徹は人として、何ひとつ間違ったことは言っていない――自分はもしかしたら彼の『何ひとつ間違っていないこと』がきついのではないか。そう思ったところで、美しく撚られていた何本もの糸の、細い一本がぷつんと切れた」「夫は、自分が初めて産んだ子供だと思えばいいのだった。そして、母も子供へと戻ってゆき、父もやがてこの世を去る。乃理の人生はあらゆるものの『母』になることで美しい虹を描き、宝の埋まったところへ着地するはずだ」「離婚してもずっと『良き父』を演じていた男の娘は『良い男』のイミテーションと本物の違いが分からない女に育ってしまった」「新しい一歩を選び取り、自分たちは元家族という関係も終えようとしている――自発的に『終える』のだった。終いではなく、仕舞いだ」「わたし、今日で母さんを捨てることにしたから、よろしく」「結局、別れずにいた亭主とふたり・・・・・・お互いを捨て合うことの出来なかった夫婦は、足並みの揃わない老いとどう付き合っていくのか」・・・・・・。
折り合いをつけながら渡る生老病死の人生を、赤裸々に、また精緻に、巧みな表現で描く。