親と切り離して独特の教育を行う「ミライの学校」――。"水"の販売で事件を起こし、社会から奇異なカルト集団と批判されるこの団体の跡地から女児の白骨が発見された。弁護士の近藤法子は、ふとしたことから「白骨死体は私たちの孫ではないか」と吉住夫妻から依頼され、代理人となる。じつは法子は30年前、小学時代の3年間、夏になるとその「ミライの学校」に"合宿"のように参加していた。そして、遺体は、自分の知っているミカではないかと胸騒ぎを覚えるのだった。白骨は吉住夫妻の孫でも、ミカでもなく、"ルールを守らない子"の井川久乃であることが判明するが、田中美夏による"殺人"ではないかとの疑いが浮上、法子はここでも弁護することになるが・・・・・・。親と子、大人の論理と子どもの感性、子育てと教育、理想による圧迫、保育園(待機児童)等の問題をキメ細かく剔り出す素晴らしい力作。
「お父さんと、お母さんに会いたい」「ミカって呼んで、手を握ってほしい」・・・・・・。「大人不在の夏休み」「美しい夏と<学び舎>の思い出。そこを共有したミカと私。自分はきれいな少女のまま、死を望まれているのだと思った」「誰かの望む"いい子"でなくてもいいんだ」・・・・・・。「ずっと放っておいて忘れていたくせに。骨が出てきて、自分の記憶を一緒に堀り起こされた人たちが、何かを取り戻そうとするかのように群らがることの、なんと傲慢なことか。取り戻せるものなど、もはや、何もないのに」「大人は誰も美夏と真剣に話してくれない。黙ったまま、美夏と、そのミライを守ると言って」「ヒサちゃんがどうして死んだのか、真実が知りたい」・・・・・・。
「失われた親子の時間」「罪を記憶に閉じ込めて、私たちは大人になった」「純粋な子どもの感性と大人のつくる秩序と論理」――いくつもの問題を考えさせる感性あふれる作品。