saiou.jpg「関ヶ原の戦い」の直前、徳川家康の東軍と石田三成の西軍の決戦の裏に、「穴太衆(あのうしゅう)の決してやぶられない最強の楯(石垣)」と「国友衆のどんな守りをも打ち破ると言う至高の矛(砲)」の熾烈な戦いがあった。その飛田匡介と国友彦九郎の戦いを圧倒的な迫力と緊迫感の中で描く。あわせて蛍大名の汚名にまみれた大津城主・京極高次の民への情愛と器量を浮き彫りにする。「八本目の槍」の石田三成、「じんかん」の松永久秀に続いて、今回は京極高次の汚名挽回、まさに今村翔吾の力量だ。

主人公の匡介は、越前一乗谷落城によって家族を失い、逃げる途中で穴太衆飛田屋の頭で「塞王」と呼ばれる飛田源斎に助けられる。源斎は石の目を見る類い稀な才能が匡介にあることを見出し、石積みの技だけでなく、山方、荷方も学ばせ鍛えあげる。それに応えて匡介は副頭になり、後継者と目される。一方、鉄砲職人である国友彦九郎も、頭で「砲仙」と畏敬される国友三落の後継者となる。しかも二人は、「落ちない無双の城を築けば戦さは絶える」「絶望するほど危険な砲を作れば戦さは止む」と泰平の世を望む信念を持っていた。

時は東西激突の関ヶ原直前――。まず激突する伏見城。塞王・源斎は、徳川家家臣・鳥居元忠が3千3百で籠城する伏見城に入り、西軍の4万の大軍を迎え撃つ。「武者返し」などの石垣を築いてなんと13日間も耐え抜いたのだ。そして琵琶湖の水を外堀、中堀、内堀に引いた水城である大津城の攻防。城主の京極高次は一度は転んだ西軍から再度離反し、大津城に立てこもる。三成の策した大津に東軍を呼びこんで戦う策に、高次は大津の民を守るために激突の戦場となることを避けようとしたのだ。寄せ手の大将は毛利元康、これに西国無双の名将・立花宗茂らが加わり押し寄せる。攻撃する国友衆の彦九郎、崩されても崩されても作り直す穴太衆の匡介。凄まじい戦闘は息苦しいほどだ。大軍に耐え抜いたがゆえに、毛利元康、小早川秀包、立花宗茂らの精強な兵は、ついに関ヶ原の決戦に間に合わなかったのだ。

「穴太衆」と「国友衆」の知略の攻防と、戦争と民衆、武将の苦悩と敬愛がほとばしる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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