プロの批評家、本格的で学術の世界の「批評の教室」――。かくも構造的、立体的、そして時間軸、時代空間をもって批評が行われるか、感心する。「チョウのように読み、ハチのように書く」が副題だが、確かにこの言葉を生んだモハメド・アリのボクシングは美しく、人間くさく、巧妙で、民族・宗教が背後から滲んでいる。演説でも「面白さ」と「深さ」と「一体感」がなければ人の心に届かない。それがあった上で、磨き抜かれた表現技術に乗せて心に迫る演説となる。さらに芸術の域に達するには相当の蓄積が必要となる。
「批評と言うのは、作品の中から一見したところではよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質を判断すること(価値付け)が、果たすべき大きな役割」「批評に触れた人が、読む前よりも作品や作者についてもっと興味深いと思ってくれれば、それは良い批評だ」と言う。
批評する場合、ステップを踏む必要があり、「精読する」「分析する」「書いたり口頭でアウトプットする」の3つを提示し、その手法を例示ながら解説する。プロならではのものだ。読書の感想文とは違う次元の独自の作品であることがよくわかる。「分析」で、「ロミオとジュリエット」をタイムラインですると、不自然なほどのテンポで話が進んでいることがわかる。「タイムライン」「図に描いてみる」ことは、構造分析、物事を因数分解して考えるということでもある。よく題材としても出される新美南吉の「ごん狐」を「美食文学」として独自の批評を示している。私と同じ愛知県、そして知多半島で生まれた「ごん狐」について、どこか郷里の匂いが私にはしてくる(うなぎの匂いではない)。また「批評を書くときの覚悟として大事なのは、人に好かれたいという気持ちを捨てることです。批評というのは作品を褒めることではなく、批判的に分析することです」というが、プロの世界の時空と覚悟を余すことなく表している。