eri-to.jpg今の政治家の存在感のなさと言葉の軽さ。今、テレヴィジョンに出てくる芸人さんたちの恥を知らない、目立ちたいだけ、馬鹿げた装い、笑いの強要のなんと醜いことか。今の聴くに堪えない言葉、日本語の乱れ――。リーダー不在、インテリ不信の時代に「言葉の力」と「教養の本質」を問う。

 「自分」から、自分が引き受けている社会的役割を、一つ一つ引き剥がしていったとして、最後に何が残るか。「その最後に残るべきものを、自分のなかに見付け、それを耕し、それを育てる、それを自分が生きた証としようと努力を重ねる。そこに『平等』を超えた一人一人の人間の姿があり、その努力をこそ『教養』と呼ぶのではないでしょうか。人と人との繋がりは、こうした人間の『芯』同士の繋がりであってこそ、『人間』つまり『人と人との間』を作り上げるものではないでしょうか」と語る。「エリート」とは「大衆よりも自分が優れていると自任するような輩ではなく、大衆よりも自分に対してより重い義務を課す人間である」とオルテガの言った言葉を述べる。

 「欲望の過剰な発揮を抑制する方途として道徳、倫理があり、長らく宗教に依存してきた」「カントは道徳の基盤を宗教から切り離し、それを人間の理性に求めることとした」「教養の概念の一部は『理性の戒め』を実行するための根源として働く。理性が命ずる道徳律をも遵守するための原動力としての教養。何事にも『慎みがある』ことだ。『慎み』はある社会で生きていく際に求められる作法、行動習慣にかなっていることであり、社会がどのような行動習慣を求めているかを『弁えている』ことだ」「こうした点から派生する、教養の大切な局面の一つはコミニュケーション能力だ」「日本の政治の現状を見ると、政治家の発言にユーモアも、巧みなレトリックも遠き慮リも何もなく、何も言っていないのに等しい」「政治家よ、教養人たれ。ウィットやユーモアも、心の余裕、あるいは自由度から生まれる『教養ある』存在に許された能力である」「教養を深めることには、自分自身の個を築きあげることが中心となるのは言うまでもないが、他人が同じ過程をたどっているはずであることを否応なく悟らされることになる。そこに初めて、自分が、自分の個から離れてみる志向性が生まれる」と深く掘る。コミニュケーションの重要性と世阿弥のいう離見の見、山崎正和さんの社交する人間だ。 

さらに教養について、「エリートと教養」「日本語と教養」「音楽と教養」「生命と教養」などを詳述する。「ポストコロナの日本考」が副題だが、「教養」の本質を浮き彫りにする。静かに考える、深く考え行動する、そうしたなかでの人間の豊かさと社会の豊かさを考える。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ